カネによるROIの低下。

とある県の厚生年金基金が、基金の事務長によって着服されていたことが発覚し、さらにその何十倍もの資金が使途不明になっている件で、タイに逃亡中だった件の容疑者が帰国し逮捕されたというニュースを見ていた。

件の容疑者は、家族には出張と偽って東京に頻繁に通っては銀座でクラブ遊びを繰り返し、次々と愛人を作ってカネを貢ぎ、果てに自らクラブを開店させていたという。愛人につぎ込んだカネは少なくとも数億円、さらにクラブ開店につぎ込んだカネも1億円近く、そしていよいよ基金使途不明金が存在することが明らかになるや、数千万円を引き出してタイに逃亡した。タイでも現地の愛人に貢いだうえに、いよいよスッカラカンになり愛人に愛想をつかれて通報され、今回の逮捕となった。

これから容疑者が明かすと公言している着服横領の全容についても気になるのだが、それよりも興味深いのが大金を手にした彼の行動である。彼がカネで買った快楽や幸せ(もちろん張りぼての幸せである)とはしょせんその程度のもので、カネが途切れてしまえばすぐにしぼんでしまうものだったのだ。大金を手にしたことによって思考能力が麻痺してしまったということもあるだろうが、なんとカネの使い方が下手だったのか。

★★★

彼の例は極端ではあるが、一般的にもカネによるROI(投資収益率)はこれからどんどん悪くなると思う。言い換えればカネさえあればなんとかなることが少なくなっていくということだ。カネがあることによって避けられる不幸はあるだろうが、カネのみがあることによって得られる幸福の質は低下していくし、その幸福はカネではない他の手段(自分で作る、人から分けてもらう等)によって得られやすくなると思う。そして、カネの力によって幸福を維持することはさらに難しい。

カネがあること、すなわち経済的に安定していることは幸福を得るために欠かせない要素であるが、一要素以上のものにはならない。よい家族や仲間がいること、取り組むべきライフワーク(たとえば仕事)があること、健康であること、精神的に自分をコントロールできていること、これらの要素の合わせ技で幸福が作られるものなのだと思う。そして以前と比べて、経済的な要素が他の要素を代替しづらくなる一方で、他の要素によって経済的な要素を代替しやすくなっているということだ。

徐々に進んでいる変化をいち早く先取りしようとする人、旧来の価値観のままで逃げ切りを図ろうと目論む人、さまざまあると思うが、この流れが止められないことだけは確かだ。