息子の素行不良を原因として大物キャスターが番組を降板したり、有名ホテルで食品偽装が発覚したりTV番組でのやらせが発覚して物議を醸したり、SNSで不用意な投稿をしたばっかりに逮捕されたり社会的地位を失ったり、近頃なんだかこういうニュースが非常に多い。どれもこれもモラルが失われたというよりは、コンプライアンスが厳しくなったり、社会におけるいわゆる一線のハードルが下がったり、以前は隠し切れていたことが可視化されやすくなったり内部告発されやすくなったりということが要因のように思う。
なんと言うか、息苦しい世の中になったもんだなぁ、と思う。誰もがいつ足をすくわれるかわからないような世の中になったように思う。明日は批難を受ける立場に入れ替わっていても不思議ではないのに、他人の不祥事を唾を飛ばして批難している人があまりにも多いことに驚く。
息苦しい世界の代表格は学校とテレビなのだと思う。少しでも落ち度があれば、たちまち批難を受けかねない。以前はある程度ハチャメチャにふるまうこともできたし、それが魅力でもあったのだが、今は許されるふるまい、表現、指導は年々狭まっている。そこから逸脱しようまいとすることにこだわるあまり、学校は本質的な使命である世の中を生きる力を付けさせる教育を提供することからはほど遠いものになっているように思うし、テレビは随分と面白さを失ってしまった。
学校もテレビも、世の中は公平で頑張れば努力は必ず報われる、というイデオロギーにすがりついているように見える。現実の人生はそうでもなくて、努力してもどうしようもないこともあるし、諦めなければ夢は叶うわけでもない。そんなイデオロギーを頑なに守ろうとし、周りにも同じ規律を求めようとするなかで、過度に息苦しい空気を作り出すことに大きく加担してしまい、果てに自己矛盾を起こしてしまっているのではないかと思う。
この息苦しい世の中はどこに向かっていくのだろうか。そのうちに人間は適応していくのだろうが、その適応の果てにどんな人間ができあがるのかと考えると陰鬱な気持ちになる。
人間はどんどん進化してきた。しかしながら進化すればするほど、袋小路に突き当たってしまうのではないか、そして急激な環境の変化には脆くなってしまうのではないか。かつて栄華を誇ったものの絶滅してしまった生物の姿がだぶる。いつかは人間もそうなってしまうのだとは思うけれども。