消える言葉。

「専業主婦」という概念は、20世紀の半ばから21世紀の初頭にかけてのみみられたものだったのだと思う。実際のところ専業主婦的なものは社会のなかでは残るのだが、それは「主夫」にもなったり、多数派な存在でなくなる、という意味で概念としては消滅していくはずだ、と僕は思っている(専業主婦であることを否定するつもりは毛頭ないので悪しからず)。

同じようにこれから数十年をかけて、「老人ホーム」という概念も消えていくんじゃないか、と僕は思っている。首都圏ではこれからまさに高齢者が増加し、介護ビジネスは確実な伸びが予想される分野として注目を浴びている。一般紙を開けば介護施設の広告ばかりだ(購読者の平均年齢は60歳を超えているということがよくわかる)。身の回りでも、その需要を取り込もうと動きが出ている。しかし、僕にはどうにも介護ビジネスがこれから成熟していくようには思えないし、目先のピークが過ぎれば、一気に業界がしぼんでいく可能性すらあると思っている。

そもそも介護をビジネスとして捉えだしたところから、この業界は間違った方向に進みつつあるのではないかと思っている。ビジネスとして考えれば、日々のサービスは全てコストになる。公的補助の仕組みが変わらない限りは、日々の収入は増えることはないわけで、収益を増やすにはコストを削るしかない。場合によっては利用者が長生きすればするほど収益が下がっていくなどということもあり得る。ビジネスから100%切り離して国が面倒をみるということはもはや現実的ではないが、人間を相手にする業界であるからこそ、社会的な意義を考慮したプレーヤーに参入してほしいと思う。残念ながら今はそういう状態ではないように思うし、このままの状態であれば、介護ビジネスは僕らが利用者となり得る頃には、高齢者人口の減少以上に存在感を消失していくように思う。

どうやら僕らの世代では早くも老後に備えてお金を貯めたり運用したりという人が上の世代と比べて増えており、そんな人たちをターゲットにした運用商品もあるのだが、お金があったからどうにかなる、という時代でもなくなるのだと思う。もちろんお金があれば回避できる不幸はあるが、なんでも上手くいく、ということはもうないのではないか。

そうなった時に必要とされるのが、家族や親戚なのか、昔からの友人なのか、ご近所さんなのか、新しいつながりなのか、はたまたロボットだったり2次元の存在なのかはわからないし、個々人がこれと決めればいいことだと思う。