小学生の頃、そろばん教室に通っていた。きっかけは覚えていない。そろばんに加えて習字にも通っていた。落ち着いて丁寧に字を書くのが好きでなく、習字はあまり続かなかった(なので大人になっても字が汚い)のだが、そろばんはもともと計算が好きだったこともあり、それなりに上達した。しかしながらそろばんは指を使って珠をはじくものであり、器用でない僕はしばし珠をはじく指先が狂ってしまい、級から段に差し掛かる頃には完全に壁にぶちあたってしまった。
代わりに得意になったのが暗算である。暗算と言えば一般的に、目の前に架空のそろばんを思い浮かべ、そろばんの珠をはじくがごとく指先を動かして、頭のなかで架空のそろばんの珠の配置の動きをイメージして取り組むものである。そろばんが手先の器用さを競うものであれば、暗算は頭のなかにいかに鮮明にそろばんのイメージを映し出すかを競うものであり、似ているようで全く違う競技だと僕は考えている。頭のなかに映し出したそろばんの珠は、いくら僕の手先が不器用でもはじき間違えることはなく、そろばんよりも暗算のほうが段級位を伸ばしていくこととなった。
だが、暗算でもまた僕は壁にぶちあたることになる。頭のなかで思い浮かべられるそろばんの桁数にも限界があるのだ。桁数の多い計算になり、繰り上がりが多くなると、頭のなかのそろばんの珠がぼやけてくる。ある程度よりも上の世界に到達するには、努力ではなく持って生まれた才能が必要で、僕はその才能を持っていないのだ、ということを小学生ながら感じていた。
才能がないことを感じてはいたが、暗算自体は変わらず好きだった。例えば夜ふとんに入って眠りに落ちる前や、電車に乗っている時には自然に身の回りにある数字を使って暗算をしていた(おかしな子どもだ)。その甲斐もあって、2桁×2桁までは、ほぼ瞬時に答えを出せるようになっていた。そこで、それ以上の桁数の暗算についても、2桁×2桁に分解して計算するようになった。
例:1234×5678は、1200×5600=6720000、34×5600=190400、1200×78=93600、34×78=2652に分解し、最後に4つを足し合わせて7006652と導く(もう今は頭も錆び付いてるので最後に電卓で検算しました笑)
これは本来の暗算のやり方からすればあまりにも力ずくなやり方になる。しかしながらこの方法を取り入れて、僕の暗算の段級位は最後にもうひと伸びした。本来のやり方を捨てて、自分なりに限界を突破する方法を見つけたのだ。
しかしながら、小学生の時のこの小さな成功体験が、自分に変な癖を付けてしまうことになる。ものごとがうまくいかない時に、正攻法を突き詰めるのでなく、すぐに力技で解決してしまおうとするのだ。大学受験でも、社会人になってからの仕事でも、そうであった。そして、想像に難くなくすぐに限界にぶちあたった。その話はまた回を改めることにしたい。