情熱のフィクション、淡々とした現実。

かねてから行きたかった立川のまんがパークへ。5万冊と聞いていたのでかなり広大な施設を予想していたが、現地は小さい図書館といった感じで、書架も10数程度だった。案外その程度で5万冊収容できるものなのだ。しかしながらフロアは畳敷きで地べたに座ったり寝ころんだりすることもできるし、押入れのように居心地のいい半個室や、お座敷のようなスペースもあり、スナックコーナーで食べものや飲みものを買って持ち込むこともできる。ぽっかりと空いた休日丸一日を過ごすには申し分ない施設だ。6時間ほどいたがあっという間に時間が過ぎていった。人が一日に読むことができるまんがの量なんてたかがしれている。将棋関連で今まで読んだことのなかったものや、闇金ウシジマくんあたりを読む。

まんがを読んでいるうちにどんどん物語の世界に引き込まれていくのは、ストーリーと描写によるものだと思う。でも、現実世界でのできごとをそれなりに経験し理解してくると、現実にはフィクションよりも様々なことが起こるものだ、と感じるようになってくる。しかもそれらのできごとは、まんがのように情熱的に描かれたり、心理描写を交えながらスローモーションで捉えられたりするわけでもなく、ごくごく淡々と目の前に現れて、止まることのない時間とともに流れていく。それだけに、現実はフィクションよりも残酷なのだと思う。

先週日曜日の(そして今夜も放送される)ドラマ『半沢直樹』を見たときも、同じ感覚を覚えた。銀行内部のドロドロした世界が描かれており、ディテールまでよく捉えているなぁとは思ったが、それでも現実の世界とはなにか違うのだ。ドラマはあくまでドラマとして人に見せるためのものであって、現実は人に見せるためのものでないからこそ、さらにドロドロとした裏の駆け引きがあったり、忸怩たる思いを噛みしめる場面があったりする。そしてそういう場面を二度と巡ってこないリアルタイムで経験することに価値があるのだと思う。

現実はあくまで現実であるからこそ引き立つものであり、それを無理やりドラマチックに仕立て上げることは、現実の持つ価値を損なわさせてしまうのだと思う。まんがやドラマは短時間でいろんな世界観を追体験することができ、新しい世界に触れる大きなきっかけにはなる、そしてその世界に陶酔感を持つこともできる。だけれども、現実の世界はさらにもっと奥深く、危険で、想像もつかなかったようなことがしばしば起こる世界だ。