街も老化する。

週末は鎌倉を経て奥さんの実家へ。長谷寺あじさいは今が見頃。かなり混んでいたけど、それに見合うくらいに素晴らしい花が咲いていた。あじさいほど、多様な種類に分かれる花もないのではなかろうか。

雨も降らず、それほど蒸し暑くなかったのだが、久しぶりに乗った江ノ電は通勤ラッシュさながらの混雑で、ホームは人であふれ、1本見送らなければならないことも。単線の鉄道なので、12分間隔での運転よりも本数を増やすことができず、編成も4両以上に伸ばすことができない。そのためハイシーズンは完全に輸送力のキャパシティを超えてしまっている。

とはいえ、車で回るという選択肢も取りづらい。鎌倉から湘南海岸沿いに江ノ島へ向かう134号線は常に渋滞することで有名だし、内陸部も細い路地が多く、片側2車線の道路はない。おまけに観光客はこれまた細い歩道から車道にはみ出して歩く。地元の人の生活が心配されるようなほど、車の移動も不便である。

要するに街自体が、ここまで多くの観光客が来ることを想定して作られていない。鎌倉はつい先日世界遺産登録が見送られたが、地元住民や観光業の人からすれば、逆にほっと胸を撫で下ろしているくらいなのではなかろうか。これ以上の来客を受け容れる余地はないし、現状でもラッシュ並みの電車移動と、歩いて行動できる体力のある人しか観光できない街になっている。

なにも交通インフラを整えるべきと言いたいわけではない。むやみに交通インフラを整えようとすれば、地元住民の生活が破壊されたり、街の雰囲気が損なわれたりする懸念がある。逆に、富士山の入山料のごとく入域料を設けるのもひとつの考えだろうし、外部からの車の流入に規制を設けてもいいと思う。せっかく海外から見にきてくれる人たちもいるのだから、少々コストを負担してもらっても、今の質を保って快適な観光を保証し、街のブランドも守ってほしいと思う。

しかしながら規制を設けるのも、街を改造するのも簡単なことではないのだろう。鎌倉は観光地としてのブランド力が強く、街としても既に熟成されているだけに、大胆な変化は難しく、せいぜい小手先の対応で問題を先送りしてお茶を濁すようになりがちである。このあたりの現実が、人間の姿とだぶって見えた。歳を取ればとるほど、成功体験を積み重ねるほどに、現状に手をつけて変化し続けることは難しくなる。その壁を先送りせずに突破した者だけが、次のステージに立つことができる。鎌倉に限らずどの街も似たような問題を突きつけられているし、一人ひとりの人間もまたそうなのだろう。