ネガティブゾーンの向こう側。

日帰りで大阪、神戸、姫路。さすがにちょっと疲れた。蒸し暑いのも好きではないし、かといって空調も好きではない(毎年言っている)。気候のせいか、頭があまり働いていない。しゃべることについては問題ないが、ものごとを深く考えたりすることができない。

★★★

あと2週間と少しで乗鞍マラソンである。去年はほとんど練習せずに撃沈し、ぎりぎりで完走(むしろ完歩)するというありさまだった。その時に、来年はしっかり練習を積んで準備したい、と言っていたのに、その言葉は露と消えてしまった。最近は夜に家の近くをウォーキングするのが気持ちよくて、しばしば歩いているが、走っているわけではないのであまりプラス要因にはならないと思う。

不安がないわけではないが、何とかなるだろうという根拠のない楽観とともに、どんな精神状態になるだろうかという楽しみもある。

最近はあまり行けていないが、山登りをしていると、自分の精神状態が移り変わっていくことに気付く。山のなかではスマートフォンからも隔離されて、自問自答しながら歩くようになる。行程のなかで登りはじめの頃はきまって、日頃嫌だと思っていること、不安に思っていることが頭のなかを駆け巡る。なぜ人里離れた山に来てまで、日常のドロドロしたことを思い出してしまうのだと自己嫌悪になり、それらを振り払おうとするが、いっこうに消えることがない。雄大な景色が目の前にあるのに小さいことにくよくよしているのが勿体なく思えて歯がゆい。ゆえに、登っている時の僕はたいてい浮かない顔をしている。

その後も悶々としながら登っているのだが、数時間が経った頃、もしくは一日目が終わる頃になるとすーっと波が引くようにネガティブな思考が消えていく。心身の調子が良いときには、山を下りても悩み自体がぶり返さない(違うものさしから見ることにより悩みを悩みとして捉えなくなる)こともある。おそらく、他のことに意識が向かわずに考え続けることで、ふっと悩みが解決する(言い換えると自分のなかで納得のつく)ことがあるのだと思う。山に登ることの大きな効用だと思う。

ラソンにも似たような効用があって、後半にふっと心が軽くなることがある。身体は疲れているのだけど、心は気持ち良く、羽根が生えたような心持ちになる。去年はひたすら自分の精神力の弱さを思い知らされたけれども、今年は悶々とした気持ちの向こう側にたどり着ければいいな、と思う。