男が風俗に行く理由。

仕事関係の交流のなかで、風俗が好きな人が何人かいる。仕事のアポイントでの雑談のなかで風俗の話が出ることもあることはしばしばあるし、キャバクラに連れていってもらうこともある。それらはそれなりに楽しいし嫌々付き合っているということも毛頭ないのだが、お金を払って風俗に行くことには抵抗を感じる。僕もそれなりに変態性欲の持ち主ではあるのだが、何故にそこで違和感を感じるのか自分でもよくわからない。

今の30代より上の世代の男にとって、風俗に行く、ということが未だマッチョな行為の象徴として語られがちである。くだらないが、男というのは本当は弱いくせにマッチョでありたがる奴が本当に多い。マッチョな行為として風俗に行くことは『女を買う』というフレーズで表現される。はっきり言うとこのあたりの表現に違和感を感じるわけだが、所詮これはマッチョであろうとしてもマッチョになりきれない人間の僻みなのかもしれない。

『女を買う』男たちは風俗を自分自身の性欲処理のために利用しているように語る。確かに男の性質として、射精後はすぐに我に帰る(これは外敵から身を守るための動物的本能である)ために、余韻を楽しみたい女と価値観にギャップがあるために、後ぐされなくさっと性欲を処理するがために風俗というサービスに頼るという面はある。なので、射精をしたらサヨウナラだよ、とマッチョに語る。しかし、性欲の塊のような10代後半や20代前半の男ならまだしも、風俗のメインユーザーである30代以上の男にとって、単に射精をすることが風俗に通う目的なのだろうか。

男はさみしくて風俗に行くのだ、と僕は考えている。

妙なプライドや恥ずかしさがあって、奥さんや女友達には見せられない(もしくは奥さんに受け入れてもらえない)自分をさらけ出して癒してもらうために風俗に行くのだ。それはけして男と男では満たし得ない部分なのである。言い換えると、男はいくつになっても子どもなのだ。本当は子どもなのに、無理してマッチョな価値観で包んで外向きには見せたがる、つまらないくだらない生きものなのだ。そんな男を受け止める風俗嬢は言わば女神様のような存在である。

では20代以下の男はどうかと言うと、マッチョな価値観の鎧をかぶる男は確実に減ってきている。奥さんや女友達に虚勢を張らずに自分をさらけ出すことに抵抗がなくなってきている(それでも、うまく自分をさらけ出せなかったり、そういう関係にある人が周りにいない、作れない場合は風俗に流れる若者もいる)。これは昔の価値観に照らすと男らしくなくなってきているとも言える。なので、日本の男に限って言えば、風俗のマーケットは徐々に縮んでいくのだろう。それが好ましいことなのか、そうでないのか、男には判断はつかないのだが。