親になるということ。

友人に子どもが生まれたので、お祝いを兼ねてつくばエクスプレスに乗って遊びに伺った。先週火曜日に常磐線に乗って、あぁ独特の雰囲気だなぁと思っていたが、2年ぶりに乗ったつくばエクスプレスも、それ以上に独特の雰囲気であることに改めて気付いた。なんと言うか、電車に乗っている人がみな研究者に見える(実際そうである確率は高いのだろうが)。つくばエクスプレスは僕が大学を卒業してから開通したので、つくばに向かう電車とはいえ何の思い出とも紐付いていないのはこれまた不思議な気分になる。

★★★

というどうでもいい話は置いといて、赤ちゃんに会ってきた。これまでにも何度か友人の赤ちゃんと会ったことはあるが、今回ほど月齢の小さい赤ちゃんに会ったことはなくて、赤ちゃんはほんとに小さいんだな、と思った。きっと生まれたての赤ちゃんはさらに小さいのだろう。けして勝手に育つものではなくて、育ててあげなければならない小さくて弱い存在なのだ。

そして、晴れてママになった友人にその心境を聞くと、「(同じように痛い思いをして産んでくれた)自分の母親への感謝の気持ちが湧いてきた」と。なるほど、僕の立場に置き換えてみると、僕は僕自身が生まれてきた時の、僕の父親の気持ちをまだ追体験できていない。僕が生まれてきた時に僕の父親がどんな気持ちで僕のことを抱きしめたか、それからどんな気持ちで僕のことを育ててきたか、その気持ちを共有できていないのだ。

さらに「(この子のためにもしっかり)生きようと思った」と言っていた。放っておけば失ってしまいかねない小さな存在のために、育て続けるのが親の責任なのだ。誰かの為に生きるということを、本当の意味で僕はまだ実践したことがない。純粋に誰かの為に頑張る、というのはきっと僕にとって新鮮な体験になるはずだ。

子どもが欲しいと言いつつ、子どもがいると失うものも多いのだろうと僕は思っている。くだらないブログが書けなくなったり、野球を観に行ったり、将棋を指したり、好きなものを食べに出掛けたり、ふらっと旅行に出ることもできなくなるんじゃないだろうか、今の僕はそんなことばかり気にしている。でも失うものの代わりに、親と同じ感覚を共有したり、自分じゃない誰かの為に生きることを体感したり、そんな今のままでは味わうことのできないものを得ることができるのだ。そうならば、今までに味わったことのない気持ちと、感覚と出会ってみるのも悪くない、いや出会ってみたい、と思う。