「考える生き方〜空しさを希望に変えるために」

一泊二日で金沢と富山へ。越後から北陸の山々はまだまだ雪が残っていて神々しい。黄砂が到達しているかと思われた日本海も、空が澄んで美しい。空気が冷たく引き締まっていて、春の陽気に緩んだ脳に刺激が入る。

★★★

国際政治をはじめとする多岐にわたる分野で知見のある分析をブログで綴っておられるfinalvent翁の「考える生き方」を読んだ。翁の文章にはいつも、これまでに積み上げてきた知見の蓄積を感じさせられる。読書による知の蓄積と、人生経験による蓄積の双方が、言葉の端々から滲み出ていると言うべきか。それでいて嫌味な感じは一切しないのである。本書でも、淡々としていながらもなぜか深みの感じられる言葉が重ねられている。ちょっと意外だったのが、翁の恋愛や結婚や子どもに対する記述だ。あくまでいつもの文体で書きながらも、そこに家族を構えて暮らす喜びが溢れ出している。翁の人間味が垣間見えて、読んでいるこちらがなんとも言えない幸せな気分になる。そして読み進めているうちに、翁がたどってきたように、自分の道のりを振り返ってしまう。

22歳で就職して、そこから2年と少しは脇目も振らずに働いてきた。そんななかで拭えなかった違和感と、セレンディピティのような出会いによってあっさり転職してしまい、そこからまた1年くらいは必死で働いた。この3年くらいの期間のなかで失敗もたくさんして、ある程度の仕事の基礎体力は付けられたと思う。そこからの数年間は仕事や身辺は落ち着いていたけれど、自分はどうしたかったのか、これからどうしたいのか、悩むというほどストイックでもなかったけど、よく考えていた。ちょうどmixiで日記を書きはじめた頃で、今から見るとどうでもいいようなことを何度も何度も僕は書き溜めている。今もその名残が残っていないとも言えないけれども、25歳から28歳くらいまでの間にずっと悶々と考えていたことは、特になにか答えが見つかったわけでもないのに、いつしか雲が溶けるようになくなっていた。そして今の自分も、なんとなく受け入れられるようになっていた。鈍感になった、と言うべきなのかもしれないが。自分の周りの人が少しずつ、これと決めた道に進みはじめるなかで、僕はさして環境を変えることもなく、進んでいるのか足踏みしているのか自分でもよくわからない毎日を過ごしている。そして相変わらず、肥やしにもならない自己満足の塊のような自分語りを続けている。

またもう少し時間が過ぎれば、今の現実も受容することが、意味があったと思うことができるようになるのだろうか。そして幸せを噛みしめることができるのだろうか。その時はまたこの本を読んでみることになるのだろう。