それぞれの3.11。

あの日からもうすぐ2年になる。

改めて振り返ると、あの震災の日の後、僕は株は買いだ、ここで買わないでどうする、という一見不謹慎ともとれる発言をしている。あのような災害が起こって初めて、僕は金融や投資がどのように社会を支えているのか、身をもって理解することができた。

投資とは、未来の姿に期待して大事な自分のお金を投じることだと思う。金曜日の昼に震災が起こって、僕らはNHKの画面を通して太平洋岸と福島第一原発の絶望的な光景を土日に見せつけられた。そうして計画停電交通機関の混乱に誰もが巻き込まれた週明けの株式市場は、怒涛のような売りで始まった。

僕自身の直感は、ここで買わなければどこで買うんだ、というメッセージを脳内に送っていた。単に絶好の買い場というだけではない。今の株式市場に押し寄せる売りは、日本の将来に悲観した売りだ、やがて日本が復興する未来が訪れることを信じるのであれば、ここで買い向かっていくしかないだろう、という使命感にも似た気持ちが湧いてきた。ここで買い向かった結果、日本に人が住めないような状態になって、手持ちの資金が全て溶けてしまったとしてもそれはしょうがない。逆に日本に住めないような状態になったところではした金を持っていても、そんなもので喪失感を満たせるわけはないだろう、と考えていた。日本が復興する未来を信じるからこそ、その活力になるであろう企業を支えなければならない。それこそが、震災の混乱のなかで金融に、投資に課せられた役割なのだと、僕は強く思った。計画停電が発生し、食糧の調達もままならないなかで、それでも金融に、投資に役割はあるのだと確信していた。

しかしながら買い向かうのは非常に勇気の要ることだった。周りの人に聞けば問答無用でそんなのやめておけと言われる。結局のところ、威勢のいい声を挙げた割には、クリックをして約定したのは雀の涙のような金額である。振り返っても本当に恥ずかしい。もっと自分の直感を信じてあげるべきだった。この時のことは、僕にとっての大きな教訓になっている。

あの日からもうすぐ2年、日本は復興したのかと言われると、まだまだ途上にあるとしか言えない。苦しい生活を余儀なくされている人も多い。ただ、マーケットは確かに元気になった。それは日本が復興してきたこととイコールではないだろうが、日経平均株価はきょうリーマンショック前の水準にまで回復した。あの日にどうしようもない恐怖心に打ち克って、日本の未来を信じてリスクを取った者たちが、このリターンを享受することができたのだ。