信頼について。

新しい部署で仕事をしていて一番変わったことは、ミッションを進めるうえでの成功要因と失敗要因がより可視化されるようになったということだ。上手くいかなかった時に、自分になにが欠けていたのか、上手くやるために、どのような下ごしらえを積み重ねていけば良いのか、いいお手本になるような人の存在があることで、今までともするもどんぶり勘定で進めていた仕事のアクションひとつひとつを、より意識して取り組めるようになった。30歳、社会人8年目になってようやくこのことに気付いたのはいささか遅すぎるけれども、今このことに気付けたことはよかったと思う。おろそかに仕事を進めてしまうことなく、このチャンスにレベルアップしていきたい。

前の部署の時も含めて、基本的には仕事を自分のペースで進めさせてもらえている。いい意味で言えば、信頼してもらえている。まだまだ自分の仕事のレベルは低いにもかかわらずそのように扱ってもらえているのは本当にありがたいことだと思う。そして、信頼とはどういうことなのか、最近になってようやくその意味が分かるようになってきた。信頼とはただ単に相手に任せるだけではなく、任せたうえでどんな結果が生じたとしても責任を持つ、ということなのだ。

本来、信頼という行為はそのくらいの度量をもって行うべきなのだ。信頼することと引き換えに、相手に(信頼してるのだからちゃんと責任を果たせよ、と)プレッシャーを掛けるのは本来あるべき信頼の姿ではないのだ。それは信頼という仮面をかぶって、相手をコントロールする行為であり、期待の押し付けなのだ。僕はこのあたりが今まで分かっておらず、信頼して任せた相手が自分の思うような結果を出してくれなかった時に、相手を叱責してしまうことが何度もあった。それは本来は間違いであって、信頼したからにはどのような結果になったとしても、責任を負うべきなのは信頼した自分自身なのだ。本当に僕は信頼ということについてなんにも分かっていなかった。

世の中のたいていの怒りは、相手に対する信頼が過剰すぎて、それに対して相手が自分の思う通りに動いてくれなかったことに起因している。相手に対する信頼値を下げれば、そもそも怒りにかられることなんてないし、何が起こってもそれなりに受け止めることができるはずだ。誰かになにかを信頼して任せるとしても、そのくらいの心持ちでいる方がいいのだと思う。もちろん誰かから信頼されて任される時には、それを意気に感じて頑張るのもいいだろう。しかしながら結局は、それもほどほどに止めておくべきなのだと思う。信頼という言葉に、あまり役割を追わせるべきではない。僕はそう思う。