ブログを書くという幸せ。

この時代に、なんでまた頑固にブログを続けているのか、きょうは書いてみたい。

このブログの紹介文には、「日々垂れ流し」と書かれている。その通り、日々インプットして自分のなかで咀嚼したことを垂れ流している。汚い表現になるけれども、このブログは排せつ物のようなものなのである。だから、人様に読んでもらうのは恥ずかしい(もちろん嬉しいけれども)し、後から自分の文章を読み返して気持ち悪さを感じることもある。

それでも、僕はブログを書いている。日々のなかで少なくない時間を割いて、文章を綴っている。しばらく書いていないと物足りない気持ちになってしまう。ノルマのように書かなければと思うことはほとんどない。

事実、ブログを書くことで、少なからず僕は癒されている。ブログを書いている時は、独りきりで静かな気持ちになっている。仕事帰りの電車でiPhoneに言葉を打ち込んでいくこともあるが、周りの声や音は耳に入ってこない。独りで文章を紡ぐ時間、あの時あの場所で言えなかったことを、面と向かってはなかなか言えないようなことを、ある時は手紙を書くように、ある時は酔っぱらいのたわ言のように、ブログの世界に吐き出す。そうして僕は随分自分で自分を癒してきたのだと思っている。

世の中にはブログを書くことを生業にしている人もいる。そうでなくとも、とある一分野に絞って、読み手を意識してブログを書く人もいる。そもそも僕にはそんな芸当なんてできやしないのだが、僕のブログは、「書きたいときに書きたいことを書くブログ」でありたいといつも思っている。だから書いていることもてんで一貫性がないし、いつも中途半端に食い散らかしたような文章になっている。書いているうちに話が脱線することも多い。一応、人様に迷惑をかけたり、虚偽のことを書かないようには心がけてはいるが、それ以外は自由に書きたいことを書いている。

繰り返し書くが、自由にブログを書くことで相当僕は癒されている。周りの人から見れば、twitterで愚痴を吐いている人と同じくらいに不快感を撒き散らしているのかもしれないが、誰にも邪魔されていないのは本当にありがたい限りである。そして、あくまでこのブログは自分のために書いている(要するにオナニーである)のだが、それでもそっと見てくれている人がいるということはさらにありがたい。独りきりで静かな気持ちになって、口をとがらせながらブログを書くのがたまらなく幸せなのだ。