反日デモと国民国家とグローバル化のゆくえ。

メディアも、いつもよく読んでいるWebページも、中国の反日デモ一色になってきた。過激な暴動のシーンが報道される一方で、Twitterでは一般の中国国民がデモに向ける冷ややかな視線や、今回のデモの黒幕についての予想が流れてきたりもする。Twitterのおかげで、報道だけでは見えてこない視点からもものごとを捉えることができる時代になったと改めて思う。

9月18日(柳条湖事件の日)というひとつの目処を越えて、デモはおそらくは沈静化していくはずだ。そうでなければ、中国という国にとっても今回の事件は天安門事件に匹敵するくらいのターニングポイントになるかもしれない。ただでさえ経済成長が大減速しており、政府への不満が高まっているなかで、政府がコントロールできないほどデモが大規模化すれば、日本のみならず外国資本が全て撤退モードに入っていく可能性は高い。そうなれば、中国経済には今以上の急ブレーキがかかり、さらなる社会の不安定化を招くことになるだろう。さすがに、このようなシナリオにはならないと信じたい。中国国民の大半は、このままデモがエスカレートしても、その反動は自分たちに返ってくると理解していると思っている。日系企業に破壊的行動を加えて営業停止に追い込むことは、中国国民の雇用を減らすことにそのままつながっていくのだから、苦々しい思いでこのデモを見ている中国国民も少なくないはずだ。

今回のデモを通して個人的に感じたのは、もはや国という単位で考えや価値観が一枚岩になるような時代ではない、ということだ。中国国民にしても、やたらと愛国反日を叫ぶ人たちがいる一方で、事態を冷静に見つめている人たちがいる。日本国民にしても、中国に対して敵意をむき出しにする人たちがいる一方で、穏やかに対応しようと呼びかける人たちがいる。そして、互いの国に友人やつながりがある人はどちらの国にあっても、現在の状況に胸を痛めている。グローバル展開している企業や、世界を舞台に活躍する人たちはもはや、国というフィルターを通してものごとを見ることを煩わしいと考えているのではないだろうか。愛国を叫ぶ人たちが一定量生まれる一方で、国民国家という概念そのものが溶けはじめてきているように僕は思う。

Twitterのおかげで、デモに対して冷静な中国国民の姿を知ることができた。一部の過激な輩の行動が今の中国の全てではないことを知ることができた。だからというわけではないが、今回の問題はこれ以上深刻化することはないと思っているし、そう願いたい。