「ブータン、これでいいのだ」

御手洗瑞子さんの「ブータンこれでいいのだ」

ブータン、これでいいのだ

ブータン、これでいいのだ

を読了。日経ビジネスオンラインから始まって、ほぼ日のサイト、御手洗さんのtwitterでのつぶやき、表参道での講演会でも話をうかがっていたので、それらで読み、聴いたエッセンスをもう一度再構成したのがこの本、ということになりそうだ。

いきなりブータンから話は飛ぶが、中東の大使館に勤めている友人から、かの国(および周辺の産油国)では長らく原油の採掘によってあくせく学んだり働かなくとも豊かな国民生活が保たれてきたが、いつか来るであろう、脱石油時代もしくは、国内の資源が枯渇した場合に備えて、原油採掘に代わる国内産業の育成と、人材の育成が課題となっている、という話を聞いた。

似たような話として、ナウルのケースがある。「ユートピアの崩壊 ナウル共和国

ユートピアの崩壊 ナウル共和国―世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで

ユートピアの崩壊 ナウル共和国―世界一裕福な島国が最貧国に転落するまで

という本にその実情が詳しく書かれているが、ナウルリン鉱石の産出により、1980年代には1人あたりのGDPが日本や米国をはるかに上回る、夢のような国であった。ほぼ無税であるにもかかわらず、手厚い社会保障が用意され、リン鉱石の採掘すら自国民ではなく外国人労働者を雇って行っていたという。ナウルの国民は働いてお金を稼ぐということを知らず、気の向くままに海外に出かけてはショッピングをしたり、高級外車を乗り回した。まさしくユートピアのような国ではあるが、当然予想されたように、2000年に入ってからほどなく、ナウルからリン鉱石は姿を消した。その後ナウル国内の現状がどのように変化したか、というところは想像にお任せする。

ナウルはダメな国、と言えばそこまでなのだろうけど、ダメな国であることは悪いことなのだろうか。日本人からしたらナウルの人たちの思考回路は理解できない、とばっさり言うこともできる。長らく続く原油価格の高騰を受けて、産油国の繁栄は続いているが、果たして脱石油時代になったときに、かの国々は思い描くように新しい産業構造へとうまく離陸できるだろうか。

去年から、日本ではブータンのことがもてはやされている。福島県飯館村の採用試験の論述問題のテーマに、ブータンが用いられたそうだ。ブータンの素晴らしい、それに引き換え日本はダメな国だ、というトーンの話をよく聞く。

ブータン、これでいいのだ」はもちろんブータンのことを描いた本だけど、その内容から発されるメッセージは、ブータンを越えて、読み手が心を寄せる国(例えば僕なら日本)に届いているのではないかなぁと思う。日本だけでなく、翻訳されて世界中の人が読んでくれたら素敵だな、と思った。

最後にひとつ、表紙の題目の字体がなんともイイ!!