なんのために仕事をするか。

いよいよ花粉症がひどくなってきた。電車のなかでも鼻をかまずにはいられない。何度も鼻をかんでいると、体力が消耗してくるように感じられる。だからか、春はいつも過食気味になる。

★★★

外資系金融法人ほどではないものの、うちの会社は個人主義的な色が強い。たまに銀行の方と一緒に仕事をする機会があると、改めてカルチャーの違いを感じたりもする。

個人主義的な会社では、自分自身がどれだけ収益に貢献したか、の一点が評価基準になる。したがって、獲得した案件の成果を巡って、これは俺のおかげで成功した、などとアピールしたり、人の成果に横入りする、などということもたまに見られる。

一応そんなポリシーの会社に数年いて、いろんな人を見てきたつもりだが、長期間安定して高い評価を得ているマネジメントには、たいてい共通した特徴があるように見える。

長期間安定して評価の高いマネジメントは、こんな個人主義的な会社においても、部下を信頼し、部下の成長を考えて適切な量の仕事を配分している。そして、アピールすべく自分の成果を積み上げるのではなくて、真に質の高い仕事を完成させることに集中している。

実際のところは、評価の高いマネジメントもそうでないマネジメントも、口では「あー、今年のボーナス上げてくれねぇかな〜」みたいなセリフを言っている。しかしながら、仕事に取り組む姿勢は全く違うのである。自分の成果のために仕事をするマネジメントの下では、部下は「結局俺はあいつのために使われている」と思ってしまう。そうなると、部下もついてこなくなる。お客さんも離れていく。

皮肉なことに、他人を出し抜いて自分だけが成果を獲得しようとする気持ちの強い人は、得てして成果を獲得できていない。一時たなぼたのように成果を手にしても、長期間安定して成果を挙げられることはない。そして、ものごとがうまくいかなくなるときまって人のせいにしたり、他人のあら探しをして自分を保とうとする。

専門知識と知見を必要とする分野で働いている人が、一見簡単にたどり着けそうな成功のコツからどうして自らそっぽを向けてしまうのだろう。どうして自分が見えなくなってしまうのだろう。中途半端な成功体験が、その人の器に枷を嵌めてしまって、さらなる新たなゾーンへの進化を止めてしまうのだろうか。もしそうだとしたら、人生とはなんと皮肉と矛盾に溢れているのだろうか。