埋め難い価値観の断絶。

先週末は金曜日から日曜日にかけて毎日、大学時代の仲間と会うイベントが続いた。金曜日の飲み会では先輩の新しい門出を祝い、土曜日は友人の結婚式二次会に参加し、日曜日は友人の引越手伝い&共同生活スタートの瞬間に立ち会うことができた。春はいつもリスタートの季節だ。

今の日本を見渡すと、なにかものごとにチャレンジしようかどうかと考える際に、『リスクの方ばかり気にしてしまう人』と、『リターンの可能性に目が行く人』にきれいに分かれると思う。この週末に一緒に過ごした人たちに限らず、僕の周りには後者のスタンスをとって、ポジティブに人生を切り開いていく人が多いと思う。

震災というイベントを経てから、両者の分断はどんどん進んでいるように思える。『リスクの方ばかり気にしてしまう人』は、得てして放射能の問題にしても、今後発生するかもしれない地震のリスクにしても、適切に情報を取捨選択できず、パニック的な思考に陥りがちに見えるし、政府や東京電力の対応に関して(むろん彼らはけして褒められたものではないが)無責任な批判を行いがちである。そういう人に限って海外脱出などを考えたりしがちなのだが、海外には現在の日本以上にリスク要因がごろごろしていることに気付き、結局何もしなかったりする。

『リターンの可能性に目が行く人』がリスクに対して無頓着で楽天家というわけではない。しかしながら、リスクを自分でコントロールすべく自分自身で行動を開始している人が多い。世界は必ず良い方向に向かうはずだと信じている人が多い。

僕自身はどちらなのだろう。できれば後者のタイプの人に近づきたいのだが、周りからはどう見えているのだろうか。自分ではわからないが、最近、以前にもまして、明らかに前者のような思考回路を持つ人とはしゃべっていても全然楽しくないと感じるようになった。両者の価値観には埋め難い乖離があって、その距離は震災というイベントを通じてどんどん大きくなっていくように思える。自分のタイプと周りの人のタイプに乖離があった場合のストレスが、以前にもまして大きくなっていくように思える。震災をきっかけに転職したり、自分を取り巻く環境を変える人が出てきている理由の一定割合に、この価値観の不一致という要素は挙げられるだろう。

どちらの人生が楽しくて、かつ幸せなのかは人それぞれだとは思う。僕は後者のタイプの人に囲まれて生きていきたい。例え考え方が甘いと言われても。