心の闇。

光市母子殺害事件において、被告である元少年に対して最高裁の判決が下された。判決よりも遺族である本村さんのコメントが印象に残った。

13年前、ブラウン管を通して僕は本村さんの怒りの言葉を聞いた。言葉からは彼の悲しみと憎しみが溢れ出していて、とにかく想像もつかないような心境であることが画面の向こうから伝わってきた。自分が同じ立場に置かれたならばどうなるのだろうか、と考えてしまわずにはいられないほど、本村さんの表情と言葉は僕に迫ってきた。

長い歳月が過ぎて、昨日の本村さんの表情は非常に落ち着いていた。会見はこれまでの自身の発言をお詫びすることから始まった。加害者の少年と被害者である自分や亡くなった妻と子のことを極力客観的に捉えて発言していた。

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いわゆる加害者と呼ばれる存在に対して、どうしようもない怒りを感じたときにどう対処すればよいのだろうか。同じ目に遭わせてやりたい、心から謝らせたい、自分の鬱憤を言葉でぶつけたい、僕も時に人に対してそんな感情を抱くことがある。たいていは感情を抱くにとどめてアクションには及ばず自分で消化できているとは思うが、無意識に言動や日々のここでの文章を通じてその感情を発露させていることもしばしばある。それは我慢しようとしても我慢しきれずに漏れてしまった感情で、僕自身の心が弱いことの証左である。

にしても、なぜ僕は怒りを抱いた時に、同じ目に遭わせてやりたい、心から謝らせたいと思ってしまうのだろうか。その通りに相手が自分に対して行動してくれたところで、僕の胸は爽やかな気持ちになり、相手を許そうと思えるのだろうか。

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結局、そんなもやもやした気持ちを解きほぐしてくれるのは、時間と周りにいる人の存在以外にないのだと思う。周りの人に話を聞いてもらうだけでずいぶんと肩の荷が下りる。しかしながら、周りの人にすらなかなか打ち明けられなかったり、言葉が出てこないこともある。そんなときは、その気持ちを大事に自分のなかで飼っていくしかないのだろう。

心の闇のない人間なんていないと思う。みんな多かれ少なかれ自分のなかに隠しておきたい、隠さざるを得ないものがある。きっと死ぬ瞬間まで抱き抱えていくのだろう。

本村さんも、加害者の元少年も、残りの日々を穏やかに過ごしてほしいと願う。