「寂しさ」。

「寂しさ」はヒトの行動をドライブする最大の要素なのではないか、と最近思ったりする。

一番わかりやすいのは恋愛である。別れたと思ったらまたすぐ別の彼氏(や彼女)と付き合ってしまう。風俗やキャバクラに繰り返し通ってしまう。僕にも同じような行動特性が多いにあるし、全くもってそれが悪いわけでもないが、自分の「寂しさ」を上手にコントロールできる人も周りにはたくさんいて、そういう人はやはり心が強いのだと思う。

忙しい忙しいと自らさかんに言う人や、仕事を辞めてやる、辞めたいと周りの人に言ってしまう人も、本質的には「寂しい(=かまってほしい)」のだと思う。本当に忙しかったり、辞めたいと思っていれば、そんなことを口に出すこともなく淡々と目の前のことに向き合うだろう。だからと言ってそれらの言葉を言うなと言うわけでもないし、自分も含めた誰しもが、自分の心の強度を越える負荷がかかると同じような行動をとってしまうかもしれないわけで、それらの行動は批判すべきものでもない。当人の心がそれで落ち着くのならばそれでいいと思う。僕だって、いつもこんな文章をだらだらと書き綴っているのは「寂しさ」を紛らわすためだろ、と言われれば反論できない。寂しさの紛らわし方としては自分でも悪質だと思う笑。

喜怒哀楽、という言葉があるが、これらの言葉も全ての「寂しさ」という要素につながっているように思う。哀しさは寂しさとわかりやすく結びついているし、怒り(もしくは憎しみ)だって、一枚その皮を剥いでみれば、自分を分かってくれないことに対する寂しさが潜んでいるはずだ。喜びや楽しみにしても、その言葉のウラにぴったりと寄り添うように「寂しさ」がくっついていないだろうか(分かりやすい具体例を挙げづらいので、みなさんで想像してもらえるとありがたい)。なかなかそれ単独で表に出てくることはなくとも、「寂しさ」という感情はヒトとぴったり寄り添っているように見えるのだ。

★★★

社会に目を向けてみると、最低限の衣食住にかかるモノやサービスを除けば、残りのほとんどは「寂しさ」にまつわるモノやサービスで成り立っている、と言っても過言ではない。というかむしろ、「寂しさ」をうまく埋めてくれるモノやサービスこそが、いま消費者に受け入れられてヒットしているように見える。婚活、ソーシャルゲームSNS。。。

とまぁこんなエントリを書いたのは、僕が寂しがりやでなおかつ今寂しいからやね。いつか続き書きます。