年齢とバレンタイン。

バレンタインほど、年齢によって大きく意味の異なるイベントはないんではないかと思う。

小学生の頃(今は幼稚園の頃からだろうか)のバレンタインは、下校してからゴールデンタイムが始まる。僕の通っていた小学校では女の子はみな手作りのチョコレートを作っては男の子に渡すという風習があった。男どもは持ってきてくれる子はいるのだろうかとそわそわして家のなかで待つ。

中学生の頃のバレンタインは、休み時間や放課後の隙をついて行われる。中二の時だったか、クラスの新聞委員の女の子がこともあろうに、男子にチョコをもらった数を聞いてまわり学級新聞に載せるという、今では考えられないような企画があった。男子に聞いてまわった当のその子はきっと芸能リポーターの素質があるだろう。イニシャルと個数が紙面上に発表されるのだが、僕はその子に聞かれることすらなかった。聞くまでもなくゼロ個だと分かるような奴だったからだ(別にひがんでいるわけではありませぬ笑)。このように、非モテ男子は毎年バレンタインデーの度に心を痛めてしまうのだ。成果ゼロで帰宅して母親に貰うチョコレートがこれまたいろんな意味でしょっぱい。そりゃあ二次元に癒しを求める男子が増えるわけだ。

高校生の頃になると、ある程度バレンタインデーに対する純粋さも融けてきて、いくぶん肩の力を抜いて当日を迎えられるようになる。そしていつしかバレンタインデーの存在を意識せずとも良くなってくる。

そして社会人になると、バレンタインデーは義理チョコという名のもとに復活を遂げる。分け隔てなくチョコを配ってくれる女性陣のなんと優しいことか。そして自分でも意地が悪いとは思うが、男性陣がチョコを貰うときのリアクションは楽しい。はっきり言って照れているのだが、照れくささの表現方法は人によってまちまちである。平静を装う男、もらったモノにうんちくを垂れる男、「ああ」とか言葉にならない返答を取る(ありがとうとちゃんと言える男は少ないように思う)男、男はいくつになってもどうしようもない。どうしようもないのは、男のだらしなさなのか、それとも単に男たちが褒められ慣れていないのか。バレンタインデーの準備をいそいそと進める女性陣と、男どもの対比に、男女にまつわる様々なエッセンスが詰まっている。というかぶっちゃけて言えば男は年齢を重ねてもほとんど成長しないのだなということだ。