傾聴する、ということ。

期末まであと3日ということで、どこもかしこも刈り取りのシーズンなのでは。僕も午前中は都内で外出し、午後からは金沢へ移動。道中ゆっくりしようと目論んでいたのだが、携帯電話の電波がつながる間(東京から越後湯沢を経て金沢に抜けるルートはトンネルが大半でありしばしば圏外となる)はほとんど仕事の電話打ち合わせに追われるというなんとも期末感あふれる羽目に。明日あさってもけっこうタイトなスケジュールで、おまけに社内の仕事にも手がつけられていないので、かなり久しぶりに休日出勤となる可能性も。週末は同窓会なんだがなぁ。僕は天の邪鬼であるがゆえに忙しいアピールができない人間なので、やばいときには静かにパニックになって時たま自爆することも多く、仕事の処理能力及び段取りがいつまで経ってもレベルアップしないのは困りものだ。

★★★

先日、長年お世話になっている人のお家におじゃまさせてもらう機会があり、1日たっぷりと話をしてきた。僕は普段落ち着きがないし、スマートフォンを持ってからは携帯電話をいじりながら人の話を聞くというあり得ない悪癖が身につかんとしているのだが、なぜかその人の話は、傾聴することができるのだ。そして話の内容がすっと自分のなかに入ってきて、相手と自分の波長が合致してくる。相手が言ってくることを自分の価値観や枠組みで捉えてしまうことなく、相手の世界に入りこんで、相手の価値観や話のバックグラウンドも含めて感じ取ることができる。それはけして自分の価値観を殺しているわけではなくて、自分の意見もまたすっと頭のなかに下りてきて、なんの加工もなくそのまま相手に伝えることができる。

その人とはそんな素敵なコミュニケーションができることが嬉しいし、楽しくて、時々会いにいってたっぷりとおしゃべりをする。それができるのは、その人が会話が上手い、というよりは、その人が僕自身の心をまっすぐにものごとに対して向けさせてくれるからなのだと思う。

大人になると、相手がしゃべっているときに別の考え事をしてしまったり、電話をしながら手や眼は別のことに向かっている、ということが多くなる。人の話をちゃんと聞かずに、「これはこういうことだ」と自分の脳内で勝手に判断してしまうことも少なくない。そうしていると、どんどん毎日に新しい発見がなくなり、つまらない日常の繰り返しになってしまう。本当に頭が良かったり、仕事ができる人は、いつでも誰とでも上記のような姿勢をもって人やものごとと交流しているのだと思う。