内面のことつれづれ。

ふたつの三連休が終わって、今週は四半期末になる。そして、今週が終わると今年も残り四半期になる。仕事でもそれ以外でもタイトな状況が続いていたのが、今週でほぼひと段落がつく。落とし穴は最後の最後にやってくるのでまだ安心するには早いのだが。。十月になると僕は年末を見据えて早くも気もそぞろである。

この半年くらい、自分自身と自分の周りでさまざまなことが起こって、いろいろと考えさせられた。これまでかなり自由奔放に生きてきたと思うし、これからもそうでありたいとは思うのだが、一方で結婚したことで、今の状態を失うことに対する恐怖、という今までにない感情が自分のなかで湧き上がってきた。言い換えると、守りに入ってしまっているのかもしれない。今の自分の位置を、酔っぱらったときの不注意や、深く考えずにとってしまった言動のせいで損なってしまうことを恐れている。守る、という言葉にはポジティブな意味とネガティブな意味の双方が含まれているが、その双方の意味の重みを同時に感じている。

僕はいちおう仏教徒ではあるのだが、世の中のものごとを司る存在、としての(広義の)神様はいるのだな、と思わされることも、この半年でたびたびあった。神様は、一人ひとりのことをよくみて、それぞれに試練を与えている。さらに、それぞれが試練へ向き合う姿勢をもよくみて、新しい試練を与えているように見える。世の中は本当にうまくできていると思う。

結局すべては自分が源泉なのだと思う。うまくいかないことを他人のせいにするのは容易いが、それは自分のなかにある本質的な問題からただ目を背けているだけなのだと思う。周りの環境を変える、というのはあくまで表面的な解決策であって、自分が変わらなければ本質的なことはなにひとつ解決しない、ということに気が付かなければ、同じところを堂々巡りしているだけだ。

他人のことはよく見えても、自分を客観的に見るのは難しい。自分に課せられた試練がどのようなものなのか、どう乗り越えていけばいいのかということを掴むのもまた難しい。

夏を終え、仕事のピークを越え、プライベートでの多少骨の折れる(でも楽しくもある)イベントを不完全ながらもいくつか終えたいま、なぜか今年で一番に近いくらいに精神状態がいい。その理由はよくわからないが、いまの状態を続けていけたらいいなとは思う。