新宮の記憶。

この間の日曜日、四国に出発する早朝、ふと台風の情報を収集しようとTwitterのTLを眺めていたら、「熊野川決壊」の文字が飛び込んできた。気になってそこからは再び眠れず、夜明けを迎えた。

熊野川が太平洋に流れ込む新宮の町には、過去一度だけ行ったことがある。中学2年から3年に上がる春休み、学校の友達数人と青春18きっぷで旅行に行ったのだ。

当時は大阪市内の南のターミナルである天王寺駅から、紀伊半島を夜通し走って早朝5時ごろに紀伊半島の南東端の新宮までゆく夜行快速電車があった。紀伊半島の沿線で朝釣りをする人がよく乗っていく電車として有名で、その夜もクーラーボックスと竿を持った人が乗っていた記憶がある。確か和歌山駅を過ぎる頃に日付が変わるようなダイヤだったと思うが、やんちゃな僕らはそれからも車内で騒ぎ続けて他の乗客に静かにしろと怒られた記憶がある。

いつの間にか眠りに落ちて、太平洋に太陽が昇らんとしているその眩い光で目が覚めた。朝の新宮駅で駅弁を食べて列車を乗り継いで、熊野市というところにある鬼ヶ城という場所に立ち寄った。鬼ヶ城といっても城ではなく、大きな岩山が波風でえぐられているその海岸沿いを遊歩道のように歩くことができる景勝地で、春先の早朝で寒く海も荒れ気味で、観光と言うよりは地の果てに来たような感覚になったのを覚えている。ひと駅歩いて次の列車に乗り込み、紀伊半島を一周する形で名古屋に向かい、名古屋で少し遊んで大阪への帰路についた。もう完全に時効だからぶっちゃけるが、鬼ヶ城から乗ったディーゼルカーの運転台に勝手に乗り込み、適当にボタンを押していたらなんと汽笛を鳴らしてしまい、車掌さんが血相を変えて走ってきて怒られた(あろうことに僕らはしらばっくれた)のはいい思い出だ(笑)。

大阪からも名古屋からも、新宮までは特急で3時間以上の道のりとなる陸の孤島である。この地域は今回の台風に限らず風水害が多いし、人口も減るばかりである。しかしながら、新宮市にある熊野大社を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界遺産として登録されており、独特の雰囲気を放っている。奇しくも、新宮市宮城県名取市姉妹都市になっている。

今夜からまた、紀伊半島で激しい降雨が予想されている。耳にも聞き慣れた町が泥やがれきに覆い尽くされてしまっているのはやりきれない。今年は本当に災害の多い年だと思う。既に新宮にはボランティアが入っているそうだ。