人、ヒト、ひと。

よく奥さんに「あんたは器が小さい」的なことをよく言われる。確かに小さいので反論できない。そしてうちの奥さんは僕と比べるとはるかに人間的な器は大きい。

奥さんだけでなく僕の友人には器の大きい人、性善説で行動する人、心が純粋でいつも前向きな人が多い。僕自身がそういう人が好きなので、自然にそういう人たちと特に付き合うことになってしったのかもしれない。もしかすると、自分に足りないところを補うために僕は自分と正反対の人と努めて付き合うようにしているのかもしれない。

一方で、社会人になってから仕事でお付き合いしている人にはリアリストが多い。これは業種的な性格もあるのかもしれないし、仕事というフィールドだからこそそういった一面がより引き伸ばされているのかもしれない。そもそもリアリストでなければ仕事はうまく回っていかないので当然といえば当然だが。僕は仕事においては私情を挟まず常に経済合理性を軸に判断を下せる人が好きだ。残念ながら僕よりも器の小さい人にお会いする機会はあまりない笑。

僕の付き合う人のタイプはこのように仕事とそれ以外の時では大きく異なる。そして、前者のタイプの人がパブリックなシーンでどうふるまっているか、後者のタイプの人がプライベートでどうふるまっているか、案外見たことがない。性善説で行動していたがために、仕事で痛い目に遭っているのかもしれない(もちろん純粋で前向きに取り組んでいるからこそ結果が出せることもあると思う)。プライベートに損得勘定を持ち込むとぎすぎすした生活になったり、興ざめになって楽しくないだろう。自分自身がバランスが取れているとは決して思わないが、それぞれのサイドの人に対して僕はもどかしく感じたり、いたたまれない気持ちになったりする。もっと要領よくやればいいのに、と思ったり、もっと自分の気持ちに真っ直ぐに生きればいいのに、と思ったりする。

誠意や真っ直ぐな心が人の心を動かすこともあるし、どろどろしたインセンティブに踊らされてものごとが動いていくこともある。どちらが正しい、正しくないということはないのだが、どうしてもその場その場ではどちらかに偏った見方をしてしまうことが多い。自我から少し距離を置いたところからものごとをみるように心がける。自分の考えを押し売りしない。なんだか文字にしてしまうと冷めているように聞こえるけど、熱い気持ちを持つこととこのようなスタンスを保つことは両立し得ると思う。