なでしこ世界一に思うこと二題。

なでしこジャパンが女子W杯で世界一となった。

月曜日は早起きをしてテレビの前に座った。後半、延長後半とそれぞれ終了間際で同点に追いつく。情けないが正直なところ僕はもうダメだめかもしれん、と思っていた。選手たちは少しも諦めていなかったし、あくまで冷静に、追いつくための手立てを考えていたということだ。この粘りに一番感激した。加えて、延長戦・PK戦の直前に日本チームの円陣のなかでは自然と笑みがこぼれていた。これで勝てると確信した人も少なくなかったんじゃないだろうか。最後の展開はあまりにも出来すぎだったけれど、これはサッカーの神様がくれたご褒美のようなものだろう。

日本チームの粘りにも感動させられたが、米国の選手にもまた気持ちの良さを感じた。米国選手がインタビューで「勝ちたかったけれど、他のチームが優勝するなら日本が良かった」と述べたり、敗戦の弁を語っている姿を見ると、あぁ、米国人のわかりやす過ぎるほどのさわやかさ、青臭さが伝わってきた。日本のTVがしばしば超絶身内びいきの実況をするよりも僕はこういう姿勢でものごとを捉えられる人たちの方が好きだな、と思った。いいプレーには敵味方を問わず賞賛したり、異文化や多様性に敬意を払うことができるのが、米国の一番素晴らしいところだと思う。そのあたりの余裕を払えるところこそが、米国が世界一たるゆえんなのではないだろうか。

★★★

今朝になって選手のいくつかのインタビューを聞いていたが、みな「これから」という言葉を発していた。フィーバーはせいぜい1週間くらいで消費されてしまう。国内にあるなでしこリーグはなかなか採算が取れる状況になく、昼間はバイトをしたりなどして、一般の会社員よりも少ない給与で生活してながらサッカーを続けている選手も多いという。今これ以上にない形で盛り上がった熱を、いかに持続的な発展につなげていくか、ということを彼女たち自身が一番痛切に感じているのではないだろうか。テレビを通じて感動を受けた側が、その発信者にどうつながっていくことができるか、というところは、女子サッカーに限らず、マイナースポーツ、現時点ではマイナーと位置づけられている全てのものごとにとって、重要なポイントではないかと思う。

スポーツには世の中の空気や流れを変える力があると思う。かつての野茂英雄がそうであったように。