感情の蓄積。

水曜日は宇都宮出張、きょう金曜日は福島・古川(宮城)・山形をはしご出張。最近出張が多かったがこれでひと段落つくはずかと。北に向かったから気候はましになるというわけでもなく、容赦なく暑い。ここ1週間で南の島に行ったかのように日焼けしている。

★★★

福島に行くのはこの1ヵ月半でもう3回目になるので、それほど気負うことももうない。福島も仙台も(もちろん山形も)、傍目には震災の影響などほとんど消えているように見える。車窓から見ても屋根にビニールシートをかぶせた家も相当減ってきている。東北新幹線はどちらの日もほぼ席が埋まっていて、ボランティアとおぼしき姿の集団も見える(おそらく明日から三連休ということもあろう)。遠野や気仙沼といった地名も聞こえてくる。ビジネスパーソンも多く、復興需要が目に見えて盛り上がってきているように見える。

それでも、仙台駅に降り立ってみると、まだまだ復旧していない路線があることに気づく。石巻方面や常磐線は当然ながら不通である。ボランティアに行った人の話には、普通の街並みのすぐ先にいきなり廃墟ないしは荒野が広がるのだ、とあるが実際そうなのだろう。それはある種断絶した2つの世界のように見える。僕はまだその光景を自分の眼で見れていない。田んぼの上を土砂まじりの津波が流れていき、車がどんどんひっくり返っていく映像をWebで呆然と見たあの日に抱いた気持ちの着地点を見出せていない。

僕の知っている限りでも何人かの人たちが震災のあと、勤めていた会社を辞めて新しい道に踏み出した。震災が小さくないきっかけになったのだと思う。楽天の三木谷さんが起業したきっかけは阪神大震災によるものであるように、今回の件を奇貨として、新たな動きがまた生まれてくるのだろう。

夏本番になって、山の緑がいっそうと濃くなり、空には入道雲が湧き出す。帰りに山形近辺で見たそれは、まさに日本の夏というべき風景だった、そしてつばさ号福島県内を通り過ぎる頃、西日が福島の街を、郡山の街を包み込み、山に囲まれたこじんまりとした街が赤く染め上がった。大宮を過ぎて東京が近付いてくると、東の空に真ん丸の月がぽっかりと浮かんでいた。ひとつひとつの光景を僕は愛おしいと感じた。なぜそう感じたのだろうか。

相馬、仙台市沿岸部、石巻気仙沼。これまでに出張で行ったあの場所に行って、僕はなにを感じるのか。僕がなにかを感じたところでそれは自己満足でしかないのだが、それでもやはりなにかを感じに行きたいと思っている。