おじさんの思い出。

もう二週間ほど前のことになるが、おじさんが亡くなった。慢性硬膜下出血という病名の通り、自宅で突然倒れてそのまま息を引き取ったとのこと。もう15年ほど会っていなかっただろうか。実家からは電車で20分ほどの距離のところに住んでいて、小学校の中学年くらいまでは月一回くらいのペースでひんぱんに遊びに行っていた。というのも、おじさんは実家(当時既におじさんの両親、つまり僕の祖父母は他界していた)でひとり暮らしをしており、僕の母親が週に一度ほど掃除をしたり、おかずを一品、二品と作り置きしに行っていたのだ。僕はひまなときについていっていたというわけだ。

おじさんは結婚をしていない代わりに、いろんなところに旅に行っており、僕はその写真を見るのが好きだった。鉄道の写真もたくさんあった。小さい頃はじょりじょりしたあごひげをすりつけられて、よくチューをされた。線路沿いの祖父母のお墓にお供え物を持っていったり、コノミヤという超大阪ローカルのスーパーで買い物をしたり、ひとつ思い出すと数珠つなぎのようにいろんなことが思い出されてくる。

小学校も高学年になる頃から土日や夏休みにもいろいろと用事ができるようになって、おじさんの家に足が遠のいた。あの頃おじさんは45歳くらいだっただろうか。ごくたまに会うときのおじさんの顔は、なんだかバツの悪そうな表情をしていた。僕もなにを話していいかわからなくなっていたのかもしれない。そして全く会うことがなくなった。社会人になりたての二年と少しは、おじさんの家の近くで働いていて、近くを通ったことも何度もあったのだけど、立ち寄ってみよう、という気持ちすら起こることはなかった。恥ずかしいことに、最後の十数年間、おじさんがどのように暮らしていたのか知らない。

きょう、出張先で晴れわたった青空に映える八ヶ岳の姿をみて、おじさんのことを思い出した。きっといまは好きなところに好きなように旅に行っているんだろうか。30歳も近くなってようやく、母親やおじさんのこれまでのこと、それぞれの場面でのそれぞれの気持ちをほんの少し想像できるようになった。なんにせよ、おじさんのあごひげのじょりじょりとした感触はこれからも忘れることがないと思う。ご冥福をお祈りします。