引っ越し、国民と市場。

この週末で川崎市高津区に引っ越しを済ませた。土曜日の引っ越し自体はそれほど荷物も多くないのであっけなく終了。日曜日の家電・家具の受け入れ及び組み立ては少々骨が折れたものの、友人の多大なる協力もあり、これもひとまず無事に終了。3年と10ヵ月半慣れ親しんだ武蔵小山を離れ、神奈川県民としての再スタート。よほどのライフイベントがない限りは、10年くらいは住みたいと考えている。新居は今までの部屋の3倍以上の広さがあり、まだまだ持て余しているところ。機能面では屋上に太陽光パネルがあり、スマートメーターが室内に設置されておりリアルタイムで消費電力量がわかるので、節電意欲がかきたてられる。各家庭にスマートメーターを導入するだけでかなりの節電になるのではなかろうか。アクセスが悪く、最寄の南武線(武蔵中原武蔵新城)もしくは東横・目黒線(元住吉・日吉)の各駅まで自転車で10分〜15分、バスであればそれ以上かかってしまう、というのが難点ではあるけれど、そこさえ目をつぶれば気に入っている。これだけアクセスが悪いとわざわざ遊びに来てもらうのが申し訳なく思えるが、みなさんお招きしますので是非おこしください。

★★★

というわけで週末は引っ越しとそれに伴うもろもろで忙殺されたのだが、頭の片隅では13日の金曜日に振り落とされた悪魔の発言のことが離れなかった。官房長官の「金融機関に東電への貸付の債権放棄も求める」という話。金曜日の夜は若干厭世的なつぶやきもしてしまったが、冷静に考えてもアホとしか思えない。

まずもって、株式(エクイティ)と債権(デット)の返済順位の優先劣後という、金融市場の基本中の基本原則を政府がひっくり返した。当然のことながら、両者の資金の融通の性質上、まず株式保有者が一義的な責任を負わなければならない。

もし政府がこのまま無理を通してメガバンクに債権放棄させるとどんなことが起こるか、僕の想像できる範囲でつらつらと列挙してみる。
■債権放棄に応じた銀行は、その損失を埋めなければならない(間接的に預金者が負担することになる、またリスクウェイトの適正化のため、貸しはがし貸し渋りが起こる→復興のための資金融資に大きな打撃)
■当然債権放棄を実施すると、銀行内での東電の格付けが一気に下がるため、今後の東電向け新規融資は非常に難しくなる(原子力から火力にシフトするために燃料買うお金どうするんですか?結局燃料も買えなくて、さらに節電→国内製造業死亡、当然他の電力会社に対しても怖くて金貸せません)
■外国人がこの体たらくを見てどう思うだろうか?海外ファンドが日本の閉鎖性に嫌気がさし、投資のウェイトを落とし始めてから早5年。今回の意思決定は到底法治国家・先進国とは思ってもらえないだろう。日本人の金融関係者でも完全に失望した人は多いのでは。

とまぁ、つらつら書いてしまった。金融関係の方はこの怒りと呆れがわかってもらえると思うけど、そうでない人にはこの発言はどう思うのだろう。確かに官房長官の発言はとんちんかんだが、官房長官だってまるっきりこのあたりの話がわからないほどアホではないだろう。だとすると、こういう話が出てこざるを得ない「空気」を長年にわたって作ったのは果たして誰なのか?ということになる。そう、僕ら自身なんやね。。自分自身が変わらなければ、と改めて思った。