雑感その2。

震災から二週間が過ぎて、僕の頭はインプットを拒んでいる。webの情報はかろうじてチェックしているけど、ニュースはほとんど見ていない。事態を楽観視しているし、心は落ち着いている。たぶん今の自分の考えていることが本当の自分の心のありように近いのだと思う。

もちろん(原発等々)事態はよくはないのだろうが、今さら悲観的になってもしょうがないと思っている。それでもものごとを悲観的に捉えてしまう人がいるのは致し方ないし、そういう考え方を非難することが正しいとも思わない。その人をとりまく友人知人の考え方に左右されてしまう人もいるだろう。別にそれに対してどういう人がよくて、どういう人が愚かか、と考える訳ではない。ただ、こういうわかりやすい事象が起こった時に、自分を取り巻く人たちがどういう人なのか、そして自分はどういう立ち位置にいるのか、自分の立ち位置をふまえてこれからどういう方向へ歩いていきたいのか、こういったことを考えるいい機会にはなる。おそらくここ一週間くらいの僕は、こういうことを考え続けているがために、外界との反応が鈍かったりするのだと思う。

話は戻るが、僕は事態を楽観的に捉えている。そして、ポジティブな祈りのみが、事態を好転させる原動力になると考えている。起こってしまったことは、天罰でも人災でもなくて、ただただ中立的な事象そのもので、それに対して人間がどう立ち向かうか、ということだけが問われているのだと思う。そして、僕は目の前のできごとをポジティブに捉え、その事態を軽やかに変えていく行動に変えていくことを、自分自身で体現していくしかない。こう書いているとなんだか宗教じみてきたけど、これは一種の宗教みたいなものなのだろう。たぶん周りからは気持ち悪く見えるかもしれない。なによりも自分を救済するための宗教なんだろう。

ちょっと無理やり感があるが、いま考えていることを文字にしてみたらこんな感じ。感情を文字という表現ツールで表すことは、ややもすれば文字によって感情をひとり歩きさせ、ある一定の位置にそれを縛り付けてしまう懸念があるけれど、ずっと定まらないままもやもやと頭のなかを浮遊させるのも精神衛生的によくなさそうなので、書き出してみたのがこの結果。なんかどんどん深みにはまっている気もしなくはないが。