1ヶ月が経って思うことと、ソーシャルメディアについて。

週末は新婚さんのお家に遊びに行ったり、TOEICを受けたり。もう12ヶ月のうちの1ヶ月が過ぎようとしている。流れていく時間の中で意志をもってなにかを為すのは難しい。強い意志が必要。


ここ1週間、テレビではなにが報道されていたのかは知らないけど、ネットメディアではチュニジアやエジプトの政変の話がよく流れていた。世界的に見るとこの話がトップニュースなのだろう。前述の2国にとどまらず、イエメンやシリアでも同様の動きがみられている現状は、ベルリンの壁崩壊に匹敵する革命的なできごととすら言われている。加えて、twitterfacebookというソーシャルメディアがこの革命の火をあっと言う間に拡大させた強い追い風だというのも、ネットメディアでよく語られている原因だと思う。


国家の革命がソーシャルメディアをひとつの起点として拡がることといい、ソーシャルメディアの快進撃はとどまるところを知らない。まるでどこかの24時間テレビのフレーズのように、『ソーシャルメディアは世界を救う』存在となるのだろうか。去年のtwitterブームに続いて、今年はやっぱりfacebookが日本に根付いていく一年になるのだろうか。東京もまたNYのように、ソーシャルビジネスの基地となるのだろうか。


しかし、ソーシャルメディアが完全に浸透した社会というのはそれはそれで怖い。mixiで公開範囲を限定している時には気軽に書けたことが、Webの海のなかでさらす文章である、とを意識するだけで、文章が縮こまる、というをこちらで日記を書き始めてこの1ヶ月、すごく実感している。くだらないことも書きにくくなった。誰に読まれているか分からないから、日々の行動メモ的なことも書きにくくなった。それらは全部こちらで日記を書き出す前にある程度は承知していたことなので、だからどうというわけでもないのだけれど。

あともう1つ僕に特有の懸念点が。そもそも金融機関勤めの人とソーシャルメディアとはなかなか合いにくい。マーケット関係の人はWebで情報発信している人が比較的多いけど、対法人であれ対個人であれエンドの顧客と日々接点の多い営業セクションの人でBlogを書いてる人はなかなかいない。金融関係で有名ブロガーであっても、けして実名を明かさない人もいる。仕事の分野に近い話になったときに、所属会社の意向と個人の意思表示をごっちゃにとられないように、という意味もあるが、大きな要因は、金融機関の前線で営業している人は誰しも、多かれ少なかれ、顧客にうらまれるような経験をしている、ということだと思う。どんな聖人君子のような人でもひとつやふたつくらいはあるはずだ。僕のことを恨んでいる人も間違いなくいる。いくら日々の行動に自分なりに筋を通していたりしても、相手がどう思うかは分からないものだ。実名性のソーシャルメディアに踏み出すときに、こういう逡巡をしてしまう人は、金融業界に限らずいるのかもしれない。この問題以外にも、昔の恋人に見つかるとか、いろいろソーシャルメディアが浸透するにつれてこまごまとした問題が起こるのだろう。

これからも僕はソーシャルメディア漬けになっていく(というか、既になってる!)けど、このあたりの懸念点はどうしたもんかね、と思っている。