きょうは批判を受けることを承知のうえで恋愛にまつわるエトセトラの話。じゃあこんなこと書くなよ、って言われるとごもっともなのですが。
最近いくつかの恋愛や結婚に関する話を聞く機会があって、改めて、『恋多き女』=いい女というわけではないよな、と感じる。恋多き女とは、あくまで僕の私見では、「常に彼氏を切らすことがない」「恋愛のサイクルが早い」「恋愛の浮き沈みが生活全般に影響を与えやすい」人が当てはまるのかな、と思う。似たような言葉として『恋愛体質』という言葉もあるけど、集合の考え方で捉えると、『恋多き女』はほぼ『恋愛体質』でもあるだろうけど、『恋愛体質』な人がみんな『恋多き女』ではない、とくくることができると思う。定義するならば、『恋愛体質』とは特定の対象(彼氏)に対してぞっこんできる行動特性を指し、『恋多き女』は、とにかく男性という生き物が好きな人を指す、といったところか。
『恋多き女』は、恋愛自体はすごく上手そうだし、けして恋愛が軽いとかだらしないということもないと思う。ただ、「常に彼氏を切らすことがない」というところに僕はなぜ?と疑問を抱かざるを得ない。もともとその女性がモテるから結果的に彼氏を切らすことがなかったのかもしれないので一概にバッサリ断定することはできないけれども、彼氏がいない独りの期間こそ、女性がより素敵になれる時間なのではないかな、と僕は考える。彼氏のいない時期ってのはなにかと当事者にとっては辛いのは間違いないけど(男の僕だって辛いし寂しい)、人間性には恋愛に浸っているだけでは磨くことのできない部分があるのではないかと思う。そして、その部分がより磨かれることによって、次の恋愛ではより美味しい恋愛ができるだろうし、視野が広がって失敗するようなこともより少なくなるのだと僕は考えている。ドラゴンボールでいうと精神と時の部屋のようなものだ。
ところで、『恋多き男』はいるのだろうか?少なくとも僕の周りではいないな。性差によるものだろうか、はたまた?
きょうのエントリは僕の深層心理下のひがみが表層化したものだとか、ポジショントークだとか思われてもしょうがないね。。