自律神経。

なんとなくの2日酔いを引きずっての月曜日。こんな感覚も久しぶりである。数年前はこういう感じのまま仕事をこなす日もまあまああったよなあ、よくやっていたなあ、と自分でも感心する。


なんとなく仕事に身が入らない、先行きに不安を感じるのはなぜだろうか。いきなりやってきた猛暑のせいだろうか、知らず知らずのうちに蓄積している疲労のせいだろうか。ちょっと気弱になってしまっている。


こういう時こそ、雑になってしまわずに、やれることをひとつずつ淡々とやるべきなのである。苦しい時間帯を過ごすであろうことは予測はしていたし、そこをくぐり抜けないとひとつ確たる境地にはたどり着けないこともよくわかっていたはずだ。だからこそ、ここで逃げてはならないし、モノになるまでやり抜くしかないのだとも思っている。


帰宅して、食事を摂る。気づいたら今日はじめての食事であった。元気が出ないわけだ。加えて、炎天下を歩いたり、過度に冷えた部屋で過ごしたりを繰り返して、おそらくは自律神経が乱れているのであろう。ぐっすり寝るしかない。

しこたま。

数年ぶりのレベルでしこたま酔ってしまう。自宅までの数百メートルが永遠のように感じられ、家に帰り着いてから眠りに堕ちるまでの諸々についてもなかなかの精神力が必要であった。


アルコール摂取が許容量を超えた頃から、とてつもなく眠くなってしまっていた。2,3分に一度くらいのペースであくびが出る。話が頭のなかに入ってくるようで入ってこない。みんながかなりはしゃいでいることだけはよくわかる。


二次会は一転してしんみりと。しかしながら再度たくさん酒が注がれるので、いったん遠のいた酔いがまた戻ってくる。眠気はいったん吹き飛んだがこれはどういうことだろうか。


ごくごくと水を呑み、ほうほうのていでベッドに転がりこむと、これが意外にもすぐに意識が遠のくことにはならない。しばらく荒い呼吸を繰り返して、これがいったん沈静化する頃に、眠りに堕ちた。


1時間くらいで目が覚めて、尿意と喉の渇きが同時にやってくる。なんとか身体をおこして対処し、倒れるようにまた横になると次は朝であった。すっかりとアルコールも抜けて、爽やかな目覚めである。とはいえ、なにかを口にする気にもなれず、淡々と月曜朝の準備をした。

怠惰な風景。

極めて暑い1日であった。それでも、木陰に入ると涼しさを感じたり、夕方になると心地よい風が吹きはじめたり。おそらく今夜も熱帯夜になるが、どうしようもなく蒸し暑い感じでもないのでなんとかなっている。


東南アジアの夏を感じる。暴力的な日差し、食べものの饐えた臭い、だらけている犬、そして人間。なにもかもが怠惰で、でもその怠惰さにとろけそうになっていた。


日本も、怠惰さという意味では大差がなくなってきているのかもしれない。働けなくなった高齢者がとてつもなくたくさんいて(それ自体はしょうがない)、彼らが社会保障のもとで暮らしている。そういう人の比率が史上かつてないくらいに高まったこの国は、ひと昔前の東南アジアの発展途上国だった国々と、置かれている状況はあまり変わらないと言ってもいいのかもしれない。


真面目に働いている人たちのモチベーションが萎えてしまうような社会になってきている。とはいえ、そんな歪んだ状態も長くは持続しないだろう。大きく変わるタイミングが近づいているのだと思う。

ショック療法。

梅雨が明けたかのような暑さになってきた。いよいよ来たか、と身構えるのは毎年のことだ。さながら暑さとの我慢くらべである。今年の夏は暑くなるぞ、と言われているが、果たしてどうなるだろうか。


ゲンナリもしていられない。今年はできる限り軽装を心がけて過ごす。外で運動をすることも増えるだろうから、栄養はたっぷりと摂っておく必要もあるだろう。夢中になって過ごせば、暑さなどどこかに吹っ飛んでしまうような気もする。


真夏の到来とともに、節電をどうするべきかだとか、リセッションがやってくるだとか、不穏な動きもいくつかある。サバイバルの様相を呈するのかもしれない。来るならきやがれ、という心持ちである。


たっぷり汗をかいて、身体のなかに溜まったものを掃き出してしまいたい。人間関係も、習慣も、マインドも、いろんなものを入れ替える夏でありたい。


自分にも、この国にもショック療法が必要なのだと思う。自らの根底を揺るがすようなことが起こらなければ人は変わらないのだ。漸進的に変われないのならば、変わらざるを得ないイベントを起こすしかない。

マネジメント。

最近は、部下(?)と面談をすることに時間を割いている。部下とは書いたが、自分自身のなかではあんまり部下という表現はなじまなくて、しっくりこない。マネジメント1年生として四苦八苦している。


ベンチャー企業では20代のうちに、それなりの大企業でも30代後半になれば部下を持つことは珍しくない。そういう意味では、僕のマネジメントデビューは遅い方なのだろう。もともとマネジメントの地位につくことは望んでもいなかったし、ずっと一匹狼のプレイヤーでいられればいい、と思っていた性分なので、自分がマネジメントなぞできるのだろうか、という違和感は持ち続けながらここまできている。


とはいえ、いざその立場になってみると、勉強させられることは多い。いかに満足のいく働き方をしてもらうか、袖振り合うも多少の縁として、一緒のチームで働けてよかったな、という形をいかに作れるか、と考えることが自分自身の成長にもつながっている。


振り返ってみれば僕もいろんな上司に仕えてきた。1人ひとりの顔を思い浮かべながら、来し方に思いを馳せる。

この場所で。

きょうもまた楽しい話をたくさんして、遅くまでオフィスに詰めて帰路につく。労働時間やこなすタスクの量だけ考えれば大変なのだが、疲れているという実感はないし、ストレスもほとんどない。なんで自分だけこんなに突出して働かねばならぬのだ、という感情も湧いてこない。


純粋に、自分のやりたい仕事ができているからこそだと思う。こればっかりは、運命に感謝しなければならない。このまま行けるところまで突っ走るしかない。


振り返れば、あまりに長く下積み期間、助走期間をとってしまったものだと思う。約5年くらいになるだろうか。いったんはいろいろとやりきったな、と思ったところから、リハビリをしたり、次へのつなぎ、準備期間だと割り切って過ごしたり、という時間を経て、ようやくたどり着いた場所。強く思い続けることで、たどり着けた場所だ。


子どもも相応に大きくなり、自分自身めいっぱいやれる環境も整ってきた。いまがむしゃらにチャレンジしなければ、このあとの人生でいつ頑張るんだ、というタイミングでもあると思う。機は熟している。

覚悟と準備。

インフレの話題が毎日語られる。経済を回すことよりも命を守ることを優先したので、それは当然の帰結なのだけれども、受け入れられない人が多いようだし、インフレの対策のためにカネを配る、という全くもって意味のわからない政策を叫ばれている。


40年サイクルで日本は浮上と沈没を繰り返す、と仮定すると、いまは1985年からの下降線が底に近づかんとしているさなかなのだろう。あと3年、まだまだ想定外のことも起こるのだと覚悟はしている。どんなことであっても、準備さえしておけば対応できる、心が折れることもないはずだ。


1945年から続いた右肩上がりの時代、もちろん日本人も頑張ったのは間違いない。けれども、在日と呼ばれる人たちや、混血の私生児の子どもたちが必死に生きようともがいて、自分たちの生業を築いていった過程もまた、日本がグンと伸びる原動力になったと言える。これからの時代、同じようにもう一度這い上がる人たちはいまどこにいるだろうか。いま、1番世の中で虐げられている人たちこそが、新しい時代を引っ張る存在になるだろう。