五輪の十字架①。

金土日とまさに盛夏到来、という天気であった。近場にしか出かけていないが、あっという間に日焼けしてしまった。


さて、オリンピック開幕も間近というところで、また炎上がおこっている。開会式の音楽を務めるミュージシャンの、過去の問題発言が蒸し返されている。25年前の雑誌記事を今さら、と思う向きもあるのかもしれない。ただ、ああいう問題発言をしてしまう根底にあるノリは、もう時代遅れなのである、ということがよくわかる一件であった。


10年くらい前からずっと、いまの45歳くらいをなんとなく境にして、そこから上の世代と下の世代では大きく価値観が違うんだよなあ、ということは感じていた。もちろんこれは人それぞれで一概に線引きできるものではなくて、50歳でもいまの若者と変わらない価値観を持っている人もいれば、35歳にして古めかしい価値観を持っている人もいる。上の世代の価値観が、はっきりともういまの時代とはズレているということがだんだんわかってくる。Covidもインターネットの発展も、それらを後押ししただろう。そしてそのターニングポイントとなるのが東京五輪なのだ。(明日に続く)

みつかいどう。

ふと、水海道のことを思い出した。大学1年の終わりから3年の終わりまで、2年と少し家庭教師で通った町。あの男の子はいまも元気にしているだろうか。6つ違いなので、もう30才を超えているということか。


つくば市からは、サイエンス大通りを南下して、354号線をびよーんと飛ばすのである。当時は人家も少なくて、120キロくらいでいつもぶっ飛ばしていた思い出がある。いまはどうなっているのだろうか。当時は、レギュラーガソリンがリッター100円を切っていた。いい時代だったのかもしれない。


水海道とはなかなかオツな名前である。由来とは少し違うが、鬼怒川と小貝川に囲まれた歴史のある街である。その昔はもっと川や沼が入り組んでいた時代もあり、水運の要衝だったのだろう。


去年、仕事で久しぶりに降り立った。のどかな風景は昔となにも変わらない。たまらなく懐かしくなった。もうちょっと頑張れるかな、と自分自身につぶやいた。


秋くらいになったら、一度クルマを借りてあの道を走ってみようか。たしかに自分は前進しているのだ、と確かめてみるためにも。

現地現物。

梅雨明け。今年も盛夏がやってきた。横浜近辺を1日うろついた日であった。


駅の地下道で、真っ黒に日焼けしたホームレスが寝そべっていた。地下道は一昨日までの連日の雨でところどころ水が残っている。雨露をしのぐためにここに滞在しているのだろうか。ここ数年ホームレスなどほとんど目にすることがなかったので、ちょっとショックだった。女性のホームレスもいた。


そこから炎天下を陰をつたうように歩いて目的地へ。雑然とした部屋でデリケートな相談を受ける。ふむふむと聞いている自分ももの好きである。どちらかというと、話を聞いてなにかを解決するというよりは、話を聞くこと自体が既にソリューションになっている気もする。人に話すことで改めて自分の頭の中で整理されることもある。


腰を落として話を聞いてみると、誤解が解けることもある。やっぱり、現地現物にあたってみないとわからないことは多い。オンラインでなにもかもが代替できるというのは幻想である。だからこそ、しつこいと言われても、誤解があるままに人間関係が絶たれてしまうのはもったいないと思ってしまう。


そのあとも、心に残る出会いがあったのだが、そのことはまた後日に。

土の匂い。

毎日午後になるとゲリラ豪雨が降る季節になってきた。外に出て雨に遭うのは勘弁してほしいのだが、雨が降る少し前に黒い雲がさっとやってきて、空気の温度が変わる感覚、そして土砂降りの雨のあとの涼しさはたまらない。小学生の頃の夏といえばそこまで暑くはなかったものの、カラッとした逃げ場のない日差しがどこまでも照りつけていたので、案外いまの時代のほうが過ごしやすい部分もあるのかもしれない。


いま住んでいるマンションの部屋に佇んでいると、スコールの訪れとともに土の匂いが漂ってくる。もともとなにも建っていない丘陵地帯だったからだろうか、土地の記憶がこんなところに残っているのだなとしみじみと思う。


雨の合間をぬって子どもを迎えにいく。急な坂を下り切ったところが子どもの通っている場所だ。こうやって迎えにいくことをもう6年間も続けている。あとせいぜい2年か、3年だろうか。全くもって、人生はあっという間に過ぎ去っていく。限られた時間でなにを残せるだろうか。もっと真剣に考えたほうがいいのかな、と気づく。

ウマ。

ここ数年一緒に仕事をしてきたメンバーと、どうもウマが合わないことが多い今日この頃である。これもなにかのメッセージなのかと捉え、最低限の礼儀は尽くすものの、徐々に距離を置くのもひとつの解かと考えている。


いろんな思い出もある人と離れるのは時に辛くもある。できればこれまでの延長線上で、と願いたい気持ちも自分のなかにある。それでも、全体の流れに逆らって、メッセージに逆らってしがみついてしまえば、必ず良くない結果をもたらす。ウマが合わなければ、それはなにかを変えなければならないタイミングなのだ。


これからの時代、広く浅く人と付き合わなくとも、必要な人との結びつきは自然に強くなっていくし、そうでない人との関係をリテンションし続ける必要はない。消化不良になっていた分、本当にいま大切にしなければならない人との時間に費やすべきである。


旧来の人とのつながりを薄くした分、その隙間に新しい出会いがすべり込んでくる。そうやってまた、新しい物語を紡ぎはじめるのだ。

ホームランダービー。

ホームランダービーを見た。大谷翔平が茶目っ気たっぷりに躍動していた。惜しくも1回戦で敗退してしまったが、あのまま決勝まで勝ち上がっていたら、肉体へのダメージは相当なものであっただろう。見ているこちらが筋肉痛になりそうである。アスリートはやはりすごい。


ダービー自体も面白かったが、スタジアムの様子をみて、ああ米国ではCovidはもう過去のものとなりつつあるのだな、ということをひしひしと感じた。まだワクチン接種率は55%ほど、1日に日本の10倍以上の感染者が出続けているのだが、そんなことを全く感じさせないくらいに、誰もマスクをしていないし、熱狂している。米国というのはつくづく凄い国だと思う。


そんななかで大谷翔平がのびのびと自分の才能と人間性を披露して、米国のヒーローとなっていることは誇らしいし、日本の若者もどんどん国内に籠っていないで外に出ていってほしいと思う。規制産業が多く、政府にいろんなことをがんじがらめにされているような環境から抜け出して、みんな自分の人生を生きることに専念すべきだ。

朝顔。

子どもが学校で育てていたアサガオを持って帰ってきた。ほんの2か月で子どもの背丈よりも高くなるものである。水をたくさんあげすぎても腐ることもないし、栽培も簡単なのが、小学校で育てるのに向いているところなのだろう。


小さい頃からあまり意識したことはなかったのだが、本当に朝になると花を開かせ、日没とほぼ同時に花がすぼんでしまう。夜は完全に花弁が閉じている。不思議なものだなあと今さらながら感じ入る。


わが家では昔から観葉植物をいくつか育てているが、花が咲くような類のものはこれまで育てたこともなかった(あったかもしれないが、上手く育てられなかった)。確かに居住空間に花があると、気持ちも少し晴れてくる。ここ1年と少し、基本的に心が曇っていたからこそ、どんなことが自分自身のメンタルにプラス効果をもたらすものなのか、よくわかった期間でもあった。全てのことには意味があるし、それらに感謝をすべきなのだろうと思う。


今年の梅雨はよく雨が降り、涼しい日も多かった。いよいよ真夏が訪れそうな気配がしている。さて、どんな暑い夏になるか。