夢の中。

このところはまあまあ忙しい日々が続いているので、夜は眠気の限界まで起きていて、目を瞑るとほどなく眠りにおちていることが多い。朝方になるまでそのまま途中で起きることもない。


忙しいと言うとなんだか余裕をなくしているように聞こえるので、目の前のことに夢中になっていると言い換えたほうがよいかもしれない。やらなければならないことがあれもこれも湧き出てくる感じだ。タスク管理をするわけでもなく、気のついた順に処理している。抜けているものはほとんどないはずだとは信じている。むしろ、抜けているものは本来あえて自分がやるべきことでもなかったのだ、くらいの気構えでいる。


ふと思い返すと、4-5年前くらいまではけっこう毎日ギリギリの動きをしていたように思い返す。あのときも夢中で取り組んでいた。そこから少し落ち着きを得て、無理はあまりせずに過ごしていたので、成果は乏しかったが心身は比較的楽であった。ここからもう一度、いろいろとアクティブになりそうな予感がしている。以前と比べると若くないので、身体には気をつけなければならないが、やれるだけはやってみたい。

準備。

自分自身ここまでとは予想していなかったが、間違いなく第四波がくる。それも過去最大級の波がくる。ゴールデンウィーク前には医療崩壊になるだろう。


原因は変異株にある。去年のウイルスと比べても感染力が強くなっている。去年からここまで大丈夫だったからなんとかなるだろう、という気持ちでいれば落とし穴にハマるだろうし、それでなくとも年始から自粛を重ねてきた人々は、もう我慢ができなくなっている。4月という入学入社異動のタイミングというのもあって、人の交流は止まらなくなっている。


いまさら緊急事態宣言を出す雰囲気にもならなさそうである。緊急事態宣言となればオリンピックの中止がいよいよ現実味を帯びてくる。発令はギリギリまで引っ張るのではないだろうか。もう政府にできることもないだろうし、あとはなるようになれという感じなのだろう。


ここまで1年間いろんなことに振り回されてきたが、まだまだ社会はなにも変わっていない。本当に変化することに迫られるまで、何度でも揺さぶられ続けるのだろう。なにがあっても受け止めるし、変わる準備を淡々としておくだけである。

今を生きる。

小学校最初の1週間が終了。そして、ぼく自身も仕事であわただしい1週間であった。大人(主に、というかほぼ妻)も子どももよくがんばった。


昼間はずっといろんなことに忙殺されていたのだが、夜になってふと帰り道に少し前のことを思い出して、久しぶりに悲しさが甦ってきた。最近はいろいろと新しい取り組みもあり、前向きな気持ちになれることが多かったのだが、まだまだ傷は癒えていない部分もある。あえて見ないようにしている部分もあるのかもしれない。


いつか、起こった事実を冷静に受け止める日が来るだろうか、あのことがあったから、今があると心から思える日が来るだろうか。だろうか、ではなく来るのだ、といまから確信していようと思う。未来はいつだって、自分の力でたどり着く場所を変えられるものなのだから。


悲しさで心のなかがいっぱいになった時に、ここからどうやって這いあがってやろうか、と考える。先のことはあまり考えずに、ただ今を精いっぱいに生きる。いま目の前にある幸せに感謝をする。

花の蜜。

子どもがいていいことのひとつに、自分が子どもの頃を思い出すことが頻繁にある、ということがある。子どもが小学校に入学すると、自分が小学生の頃のことを思い出す。


よく町内をうろつきながらいろんな遊びをしていた。ダンジョンのように探検をしたり、公園で野球をしたり、友だちの家に入り浸ったり、道端の花の蜜を吸ったりもしていた。なにもかもが遊びのネタだったと思う。幸せな時間だった。


いまも、子どもの頃無邪気に遊んでいたその延長線上で、興味の赴くままに好きなことを仕事にして、時には思いっきり没頭してみたいと思っている。いつまでも子どもの心を忘れないでいたいし、青臭い願望も捨てずにいたい。


うちの息子にも幸せな子ども時代を送ってほしい。子どもに学ばせられる、自分のなかにある悪いところに気づかせられる、というのはあながち間違っていない。まだまだここから自分も成長する。


今度、道端に花が咲いているのを見つけたら、ちょっと近づいてよく目を凝らしてみようと思う。さすがに口をつけるかはわからないけれども。

小1の壁。

「小1の壁」とはよく言ったもので、小学校に入るとやっぱりいろいろと大変である。内容はともかくとして、遊びにいく場所であった幼稚園から、小学校は勉強をしにいく場所になるわけで、それなりに準備も必要になる。子どもが自分で準備ができるようになるのが理想だが、どうしても最初は親が準備できているかつぶさに見てあげる必要がある。


小学校から、小学校敷地内の学童、そして民間の学童へと、毎日3箇所を渡り歩いていくことになる。それぞれに提出する書類、連絡帳がある。そしてこのCovidのなかでまた書類が増えている。子どもも大変だし、大人も大変だ。Covidへのケアも並行で進めなければならない。


1ヶ月もすれば、この生活も慣れるようになるのだろう。その時々でしか味わえない機敏、慌ただしい生活のなかにもふと訪れる一期一会な時間。いつか歳をとったときに思い返しても、ああかけがえのない時間だった、輝いている人生の1ページだったと思い返せるように、目の前の時間を精いっぱいに生きたい。

1982。

同学年のとある業界の著名人の悲しい告発の動画を視聴した。ただただ悲しい。


1982年生まれの学年世代、有名な人も、社会人になってから知り合った人たちも、中高大学の友人同級生も、地元の仲間も、恵まれていない人が多い。もちろん社会をサバイブする難易度は少し年上の世代のほうがハードだったのは確かなのだが、少なくとも僕の観測範囲内では、なぜここまで、、まと思うほどに恵まれていない人生を送っている人が多いと思う。これは社会的、金銭的に世代のなかでは成功を収めたと言えるような人たちにも当てはまる話で、彼ら彼女らも苦しさを抱えている。


古い時代の価値観のもとに育ち、それが手放せないなかで、新しい価値観を全て受容れることもできていない、というのが苦しみの根源であり、恵まれていないように見える理由なのだと思う。新しい価値観に移行するために、強制的に試練を負わされている、というのもまた正しいのかもしれない。


僕もまたもがいている。そして、この世代にしかできない仕事を、これからの世の中でしたいと願っている。

追いかけない。

入学式の感傷に浸る間もあまりなくまた仕事である。3月末でひとつ大きなことはやり遂げたのだが、4月に入ってからも新しいプロジェクトにアサインされており。なかなか息つく暇もない。これまではどちらかというと自分から仕事を追いかけることができていたのだが、最近は仕事に追いかけられはじめている。というか、タスク管理がきちっとできていない。


体力も落ちてきている自負もあるので、夜もしっかり寝なければ身体がもたない。子どもの相手をする時間ももちろん必要なので、それらを勘案していくと必然的にものすごく短い時間のなかでやるべきことを繰り回していかねばならない。


ただ、これくらい普段忙しいほうが、逆に成果が出るものなのかもしれない。自然と、実にならないものは切り捨てて追いかけないようにしていると、本当に実になりそうなものだけに向き合うことができるということで、ここ数年は、余裕を作ってしまったがために、追いかけなくても良いことにまで深入りしていた、ということもある。ほどよく肩の力が抜けていれば、あまり根を詰めて考え込まなくともなんとかなるものなのかもしれない。