ゆきづまり。

職場の目の前のホテルにひっきりなしにタクシーが横付けされるようになってきた。必ずと言っていいほど、インバウンドの方がスーツケースを下ろして降りてくる。このホテルはほぼカプセルホテルと言ってもいいくらいの、ひと部屋12平米くらいのコンパクトな部屋で、大柄な欧米人からするとかなり窮屈だろうに、盛況なことである。9割がインバウンドで占められていることだろう。

 

すっかりと東京の風景も変わってしまった。ありとあらゆるところから旅行者が出てくる。この果実を取れているのは誰なのだろう。それくらいに、街は盛り上がっている。コロナ渦で静まりかえった街はいまは昔、である。

 

2020年を境にいろんなことがあり、いまその帰結として、円安は止まらず、持てる者と持たざる者の格差が増している。資本主義はそろそろ限界にきている。かといって、ちょうどよい代替の社会システムも見つからず、世界は漂流していくのだろう。仕事はあるから生きていけることは間違いない。食うための仕事から、なんのために生まれ落ちてきたのかを問い直す仕事へ。まずは、毎日、自分がやれることを、精いっぱいにやりきる。

うなぎ。

仕事先でうなぎをごちそうになる。なにをかくそう、うなぎは5本の指に入るくらいに好きな食べものである。うなぎも好きだし、恥ずかしながらタレのかかったごはんも好きである。なんなら、うなぎはひと口かふた口で、あとはタレのかかったごはんでもよい。いやむしろ、山椒が好きなのもある。

 

昔はたいへんお世話になった方に、堺筋本町の「吉寅」さんに連れていってもらうのが恒例で、楽しみにしていた。皮をパリパリに焼くのが関西風である。それでいて、中はふわっとしているのがたまらない。赤だしの肝吸いも良いものである。書いてて食べてみたくなってきた。

 

関東のうなぎもそれはそれで味がある。白焼きっぽいのも、味に奥行きがある。きょうは完全にそれであった。これはもう通いたくて仕方ないくらいにやみつきになりそう。立地的にもお財布としてもそれは夢のまた夢ではあるのだが、、

 

最後の晩餐にひとつだけ選ぶとしたら、やっぱりうなぎになるだろうか。そんなことを思いながら雨の北関東。

西のプリンス。

山崎隆之八段、棋聖戦にて藤井聡太八冠に挑戦。これを聞いてなんとも懐かしい気持ちになる。15年ぶりのタイトル挑戦。15年前といえばかなりの勢いで将棋にのめりこんでいた頃である。

 

15年前、王座戦でのタイトル挑戦は、充実しきりの羽生善治を相手としたものであった。山﨑もまだ新進気鋭と呼んでもよい若手だったが、当時の絶対王者には歯が立たずストレートでの敗退。しかも、第二局では優勢と思われる局面で投了してしまい、羽生王座から叱責にも似た言葉を受ける、という屈辱にもまみれた(後の棋譜解析では、確かに羽生勝勢であることが証明されてはいる)。

 

あれから本当に長い年月が過ぎ、羽生九段もベテラン真っ只中、成績にも若干の翳りが見られるようになってきた。そして山﨑八段も、中堅と呼ばれる年代から、さらにその先に足を踏み入れようとしている。時代は言わずもがなで藤井聡太のものであり、そこに若い世代の棋士たちがどんどん出てこようとしている。そんななかで、彼がどんな輝きをタイトル戦で放つか、時のスターにどのように一矢報いるか、刮目して見届けたい。

天秤。

月曜日の朝はいつもダルさが先に立つ。土日も仕事とは別のことであくせくと動き回っており、身体もアタマもそれなりにフル回転させているからではある。この生活が2年を越えてもあまり慣れるものではなくて、それどころかこのパターンに最適化するためにむしろ月曜日は在宅で仕事をすることが増えてしまった。いったん9時になれば始業で、それなりにアタマも働きはじめるのであるが、まだまだ身体は重い。休みやすみ、負担の少ない作業をこなしつつ、ようやく13時くらいからダルさが取れて頭が働きはじめるようになる。そうして夕方前にカフェインを摂取すればフル回転にも耐えられるようになる。

40歳も過ぎればなにもしなくとも体調が万全という日は少なく、むしろ体調を整えるために予定、動き方のほうを調整していくことが求められる。そういった意味でも、かつての大手企業では早ければ40代前半でキャリアとしての旬の時期を終えて第一線から退いていくのはある意味では理にかなっているし、この年齢になって自分でコントロールができない働き方を強いられるというのは相当に厳しいものがあるはずである。

自由な働き方ができることと引き換えに、結果を出していかねばならないというプレッシャーはあるし、仕事だけでなく、自らの家庭のこと(子どものことを含む)、両親のこと、地域社会のこと、いろんなことを同時並行でまわさなければならない。それはもちろん大変なことではあるが、年齢に応じて、人間はやらなければならないことがあるものだし、それをパスして歳を重ねるのもまた違うのだとも思っている。

驟雨。

久しぶりの大阪滞在。縁あって、生まれ育った地元のお寿司屋さんで食事。半年前もこのお店を使わせていただいた。

 

お店の立地上なのか、夜が非常に空いているのである。20時をすぎるとほぼ貸し切り状態になる。職人としての仕事は確かで、自信を持って人を招待できるようなお店だと思う。

 

柄にもなく昔話をしてしまう。昔といっても、ここで暮らしていた子どもの頃ではなく、10年前くらいの頃のことだ。10年ひと昔と言うけれども、いまから振り返れば本当に昔のことに思える。思い起こしながら、ああ本当に、目まぐるしくいろんなことがあったと感じて、それが表情や声色に出ていたようだ。

 

亡くしてしまった人もいる。疎遠になってしまった人もいる。いまはそれ以上の言葉もない。やがて稲光が空に見え始め、ゴウゴウと大粒の雨が窓を叩き始める。ここは地上100メートル、下町なので付近をさえぎるものはないもない。雨粒が降ってきて、このビルはそこまでボロボロになっているのかと思いきや、ただ単に天窓が開いているだけだった。お開きになって、地上に降り、通り雨が去った道を歩き始める。

景気景色。

ぶらぶらと西をほっつき歩いているなかでも、円安が進行。そしてマーケットは下落しはじめている。もちろんインバウンドにとっては夢の国のようになっており、最近はここにも?というようなエリアでも海外からの訪日客を見かけるようになってきた。圧倒的に以前と比べると欧米系が多いのも特色である。特に中国大陸からのツアーが少ないことを鑑みると、かの国の景気の厳しさを感じる。

 

円安はどうするのか。そろそろ金利を上げる決断をしなければならないと思うのだがどうするのだろうか。もちろん金利を上げることで国家財政が厳しくなることは覚悟しなければならないが、こんなことは昔からとうに予想がついていたことである。

 

わかってはいるけど止められないし変えられない。そしてなし崩しに、円は弱くなり、国内の産業構造も変わってゆく。ここ2年くらいで国の景色は激しく変化をしてきたと思うし、ここから数年でも大きく変わっていくゆくことだろう。

集団。

さあさあ、移動の多い1週間で、自宅で寝るのは6日ぶり。移動は刺激が多くていいのだけど、疲れも当然に蓄積してくる。毎週これを重ねるのは無理だと思う。

 

数えきれないくらいのコミュニケーションを蓄積して、それをゆっくり消化する時間も必要になる。いくら量を積んでも、刈り取らなければ意味はないのだ。

 

リモートでなんでもやりとりできる時代になっても、リアルで確認しないとわからない感覚はあるし、リモートだと気持ちのスイッチがイマイチ入らない部分もある。オフィスを持つこと、しかも心地の良い空間を作ることは会社を経営する側にとってはたいへんに負担のかかることではあるけれども、やはりそれだけの効用はあるのだし、人間とはつまるところ集団生活をして生きていく生き物である。

 

なんのために生まれて、なんのために生きていくのか、ということをもう一度思う。そして、なにかを選択するということは、他のなにかを選ばなかったことであり、捨てた選択肢の重みの分、選ばれたものはそれを背負っていきていかなければならないのだと思う。